ハーブの死から10日

7月22日にハーブが89歳の生涯を閉じてから、ほぼ10日になる。

今日も二人のアパートを訪ねてみたが、ハーブがもうここに存在しないという実感が湧かない。ハーブがベッドルームからひょろひょろと出てくるのではないか、という気がしてならない。たぶん多くの人の死がそうであるように、「ハーブの死」は突然やってきて、そして去って行った。

6月半ば、私が日本に到着してから間もなく、ハーブが入院し、その後看護施設に移されたとドロシーからの一報が入った。
体力が落ちて、自分で立ちあがれない程衰弱している、早くNYに帰って来てほしい、と。

6月30日夕方、NYに着いて、家にスーツケースを置いてから、すぐにハーブの入院先へ向かう。この時は、まだハーブはベッドに起き上がって、会話もできる状態だった。1ヶ月近く食べ物をほとんど口にしていなかったけれど、まだ点滴で命をつないでいた。

日に日に弱って行くハーブの姿を見て、周囲の緊張感は高まっていく。特にドロシーは、50年間共に暮らしたハーブを亡くすことへの不安、恐怖、悲しみに日々苦しみ、なす術がないことに苛だちながら、朝から夕方7時まで、一日も欠かすことなくハーブの側に付き添っていた。

人は「わからない未来」に直面すると、不安と恐怖に襲われる。そして、不安と恐怖が募ると、それは怒りに変わる。ドロシーとハーブの家族の間に立って、家族のようだけれど、本当の家族ではない私。ドロシーや家族から飛んでくる、不安や恐怖を私はどう受け止めればいいのか。今回一番難しかったのがこの部分だった。私が家族だったら、無理してでもハーブを退院させたと思う。そして、大好きなホットドッグも、最後に食べさせたと思う。でも、家族ではない私には、できなかった。

しかし、ハーブの死が確実に間近にせまっているのが、誰の目にも明らかになった時、ドロシーの不安と恐怖はすーっと消えたようだった。彼が亡くなったら、誰に連絡を取り、どのように行動を起こすべきか、ドロシーは静かに現実と直面して準備を整え始めた。ナショナル・ギャラリーから発信するプレスリリースにも目を通し、記述に間違いがないかを確認する余裕も出ていた。ナショナル・ギャラリーのような大美術館が、一コレクタ―の死のプレス・リリースを出すのはかなり異例だと後で聞いた。

「その時」が来て、ドロシーは真っ先に私に電話をしてくれた。「Herb just died – ハーブが死んだわ」という一言だけで、電話は切れた。私が駆けつけた時にも、ドロシーはハーブの亡骸の側で、あちこちに電話連絡をしていた。

ハーブの死後、1時間もしないうちにナショナル・ギャラリーからプレスリリースが発表され、3時間後には、ネット上で記事が出始め、24時間以内にニュースは世界を駆け巡った。この時点で、すでに150のメディアに取り上げられていたという。まさに、ネット時代のニュースの伝わる早さを実感した。翌日、ワシントン・ポストの一面に記事が出たほか、NYタイムスやボストングローブでも大きく取り上げられ、3大ネットワークのCBSは、全国ニュースで2度もハーブ死去の短い特集を放送した。

葬儀には、突然の連絡だったにもかかわらず、100人を越える友人やアーティストが集まった。葬儀の様子は長くなるので、ここでは省略して、また別の機会に詳しく書きたいと思う。

「ハーブと共に始まった私たちのコレクションは、ハーブと共に終了しました。」ドロシーの宣言がお葬式で伝えられた。「アーティストからの作品も、今後は一切受け取れないので、ご理解下さい。」一つの時代に幕が降りたことを象徴する言葉だった。

私は、編集室に戻り、エディターのバーナディンと共に頭を抱える毎日が続いている。映画の中で、ハーブの死をどう伝えるのか。エンディングはどうするのか……。秋の世界プレミアに間に合うのか……。

ハーブの映像を見て涙している間もないのは、せめてもの救いだけれど。

さよなら、ハーブ

ハーブは、NY時間の今日、7月22日(日)正午にNY市内の介護施設で静かに息を引き取りました。来月16日、90歳になるのを楽しみにしていたのですが、思いは叶えられず、89歳でした。

ハーブは数ヶ月前から健康状態が急に悪化し、先月半ばに介護施設に入居。この間、ドロシーは、一日も欠かすことなくハーブに朝から夕方7時まで付き添い、連日沢山の家族や友人が訪れていました。

私も6月末に日本からNYに戻ってから頻繁にお見舞いに行き、昨日も夕方にお別れを言ってきたところでした。その時のハーブの呼吸は荒く、意識もなく、もしかしたらこれがハーブに会う最後かも知れない、という思いで帰途につきました。

今日は、ドロシーから正午少し過ぎに電話をもらい、すぐに介護施設へ駆けつけました。ハーブの妹さんと3人でハーブを葬儀場へ送り出した後、ドロシーと一緒にアパートへ戻って、知人にお葬式の通知。

ドロシーは、とてもしっかりしています。この時が来るのを受け入れて、心の準備を整えていたようです。ハーブが亡くなる前の数週間、帰り際に、ハーブに向かって「私はもう一人で大丈夫よ。だから、いつ逝ってもいいのよ。心配しないで」とドロシーは何度も話しかけていました。ハーブは、きっとドロシーの声を聞き届けたのでしょう。

私たちは、これからもドロシーの側にいて、できる限りの力になっていきたいと思います。

すでに多くのみなさまから大変暖かいお言葉を頂きました。ありがとうございます。

コメントやドロシーへのメッセージは、『ハーブ&ドロシー』のfacebookページへお送り頂ければ幸いです。ドロシーは、英語のfacebookページを常に見ています。
https://www.facebook.com/Herb.and.Dorothy.jp(日本語ページ)
http://www.facebook.com/herbanddorothy(英語ページ)

ハーブに続編『50X50』を見てもらえなかったことが、とても悔やまれます。しかし、ハーブが私たちに残してくれた遺産を、一人でも多くの人と一刻も早く共有できるよう、スタッフ一同、映画の完成を目指して頑張ります。映画は、当初の予定より半年ほど遅れてしまいましたが、今、オフラインの編集が7割ほど終わったところです。予定通り、今年秋の完成&プレミアを目指しています。

みなさまの引続きのご支援に、心から感謝致します。

監督&プロデユーサーの脳みそと筋肉を使い分ける

日本での3週間の滞在を終えて6月末にNYに帰って来た。

日本では、未だ不足する製作資金集めに奔走し、来年春に向けての続編の日本公開の準備を整えてきた。今NYでは、頭を切り替えて編集作業に集中している。

プロデューサーとディレクターを一人で兼ねているので、ビジネス面も監督業も全部自分でやらなければならないのは、本当にシンドイ。
使う脳みそも筋肉も全く違う。人格も入れ替わるのではないかと思う。日本にいる時には、朝から晩まで人と会い、ミーティングの連続。
朝ホテルを出て、夜寝る直前までしゃべりっぱなしだった。

映画監督に限らず、アーティストーつまり表現する仕事をしている人—にとって、一番苦手なのがこの部分だと思う。どんなにすばらしいアイディアがあっても、実現するための資金を集められなければ何も作れないし、一人でも多くの人に作品を見てもらうためには、マーケティングの知恵も必要だ。それは、目の前にいる企業や財団の代表者に向かって、自分の作品をアピールすることから始まるのではないかと思う。一人の人間に自分の情熱を伝えられなくて、どうやって大勢の人に訴えるものが作れるだろう。私も、知らない人のところへ行って頭を下げて「お金を下さい」と言って廻るのはイヤだけれど、ここを乗り越えなければ映画を作り続けられない、と自分に言い聞かせて鍛錬している。

NYに帰ってくると、私の役割はプロデューサー業からディレクター業に変わり、一気にトーンダウンした。人とのやりとりはほとんどがメールになり、オフィスや自宅にこもって映像を見て、資料を読み、じーっと考える日々が多くなる。しかし、人との折衝で精神的にかなり消耗した後で、映画製作の現場に戻ると、乾いた大地に水が戻ってきたように、元気になる。

NYに戻ってすぐ、編集のバーナディンが住むウッドストックへ向かった。NYから車で北へ3時間ほど行ったところにある町で、1969年のロック・フェスティバルで有名になった(実際に開かれたのは近くのベセナという町だけれど)。いつもは、バーナディンが日帰りでNYへ来て終日打ち合わせをするのだけれど、今回は独立記念日の休暇もあったので、私の方から出向いて、2泊3日で編集合宿をしてきた。

森に囲まれた小さなバーナディンの家は、おとぎ話に出て来るような瀟洒なたたずまい。蟻の駆除や野生動物対策で苦労しているらしい。
「運が良ければ熊の親子が家の前に出てくるよ」とバーナディンが言うので楽しみにしていたが、あいにく熊には会えなかった。

私が日本に滞在中、バーナディンは全てのシーンを編集し終わり、2時間のラフカットが出来上がっていた。いったん繋がった全米12の美術館、6人のアーティスト、ハーブ&ドロシーの自宅や、マイアミ・アートバーゼルなどでのシーンを、さらに小さなテーマごとにばらばらに切り刻む。頭がクラクラする。一体、どうすればこのパーツがスムーズに流れるように繋いで行けるんだろう?登場人物のインタビューからキーワードを探しながら、バーナディンとブレーンストーミングを繰り返し、細切れになった映画を再編成して行く。

前にも書いたが、先日アーティストのリチャード・タトルに会った時、この映画は、私にとっての「成長の記録」となるはずだと言われた。
そして、この映画は一つの軸にそってすうっと流れるのではなく、一枚の大きなタペストリーのように広げて編み込むものであるのが見えて来た。そこには、ハーブ&ドロシーや、全米の美術館、地元の子どもたちやアーティストたちの絵柄が細かく編み込まれ、アメリカのアートの世界模様が映し出されている。アートって何? 美術館って何? アーティストにとっての成功や名声って、何? という問いがタペストリーから投げかけられる。それは、私がこの映画製作で綴ったアート探求の旅の記録でもある。

来週の月曜日には、いよいよ作曲家のデイビッドと音楽の打合せ。編集もいよいよ大詰めを迎える。そして、一カ月後の8月16日は、ハーブの90歳の誕生日。ただ、最近どうもハーブの容態があまり良くないのが心配だ。早く元気になってくれることを祈るばかりだ。

甘い復讐

今朝、ドロシーからこんなメールが転送されてきた。
「SWEET REVENGE FOR A BROKEN GUITAR—壊れたギターへの甘い復讐 」。
これを読んで、1ヶ月前に、続編の撮影でラスベガスとモンタナへ
行った際に、移動途中で起きたトラブルを思いだした。

土曜日、終日ラスベガスでロケして夕方の飛行機でモンタナへ移動す
る予定が、飛行機に乗り遅れてしまったのだ。
預ける荷物もなく、手荷物だけで、出発の40分前に空港カウンター
に到着したのに、アラスカ航空の従業員は、頑として飛行機に乗せて
くれない。規則では、出発の45分前にチェックインしなければなら
ないという。担当者は「次の飛行機に乗せてあげるわよ。到着は明日
の夜11時だけど、どうする?」と、しゃあしゃあと言うではないか。

モンタナでは、イエローストーン美術館の館長と、翌日の朝11時にア
ポが入っている。日曜の朝にわざわざ時間を作ってくれたのだ。
現地のカメラクルーも、ブッキングしてあるので簡単には予定を変え
られない。チケットを買った旅行会社やアラスカ航空の親会社、ユナ
イテッド航空にも掛け合ったけれど、全くダメ。予定通りロケをする
には、ラスべガス〜モンタナのチケットを新しく買うしかなかった。

土曜夜にフェニックスとデンバーで2度乗り換え、寝る暇もほとんど
なく、何とか朝9時過ぎにモンタナ州のビリングスに到着。撮影も無
事終了した。しかし、このためにかかった余分な飛行機代、宿泊費な
ど、被害総額はおよそ1000ドル。

NYに戻ってからも怒りは収まらず、 Facebookにこの事を書いたら、
沢山のコメントが寄せられた。同じような経験をしている人が大勢い
る。そして、高校の後輩が送ってくれたガイドラインを読むと、アメ
リカの空港チェックイン 時間は、手荷物だけの場合、30分前とある
ではないか。しかし、その下に小さな字で 「ラスベガス、アトランタ、
デンバー空港は、例外で要45分前到着」とあった。とほほ。
それにしてもねえ。たった5分の遅刻ですよ。

アメリカでは、航空会社とのもめ事は日常茶飯事で、誰にでもホラー
話の一つや二つは必ずある。何より頭にくるのが、従業員の失礼極ま
りなく、誠意のない態度。空港で、お客さんが、カウンター越しに航
空会社の社員に襲いかかり、ガードマンに連行される場面を目撃した
こともある。

で、ドロシーのメールに書かれた「甘い復讐」の話だけれど、これが
実に痛快であの時の怒りもふっとんでしまった。3年前に話題になっ
たらしいが、私は全然知らなかった。

デイブ•キャロルというミュージシャンが、ユナイテッドの飛行機で
移動する際にテイラーというメーカーのカスタムメイドのギター
($3500相当の価値)を預けたところ、明らかにユナイテッドの取り
扱いミスでギターを壊されてしまった。8ヶ月にわたって、弁償の交
渉をしたけれど、全く埒があかない。

「こうなったら、今回のことをビデオにしてYouTubeにあげるぞ」
と脅してもダメ。そこでデイブは「ユナイテッドにギターを壊された」
というタイトルで曲をつくり、ミュージック•ビデオにしてYouTube
にあげたところ、数日で100万以上のヒット数に!

ユナイテッドが、後で慌てて彼に連絡してきて、交渉に乗るからビデ
オをYouTube からはずしてくれ、と頼んだけれど、もちろん彼は応
じなかった。そして、彼のおかげでブランドの認知度が上がったテイ
ラーは、お礼として彼にギターを2台プレゼントしたという。
デイブは、一躍有名人になり、彼はパート3までビデオを作って、視
聴者は合計1億5千万人!

あるイギリスのジャーナリストが試算したところ、このビデオがユナ
イテッドにもたらした被害総額は180万ドル、株価10%下落に相当するとか。
その真偽はわからないけれど、アメリカの企業の顧客対応方法に、
大きな変革をもたらしたのは確かなようだ。
デイブは、今や音楽活動だけでなく、そうした企業に呼ばれて、
講演でも大忙しらしい。このミュージックビデオ、最高に笑える。
航空会社とのトラブルで嫌な思いをした経験がある人が見れば、
誰もが胸のすく思いをするだろう。
こういうクリエイティブな復讐の発想ができるのは、さすがアメリカ人・・・
と思ったら、彼はカナダ人でした。ビデオは、こちらから。

映画では使えなかったジョン・チェンバレンのインタビュー

この週末、グッゲンハイム美術館にジョン・チェンバレン展を見に行った。

チェンバレンと言えば、最初にハーブ&ドロシーのコレクション入りした作家。映画の中で、初めの方に出てくるナショナル・ギャラリーでのシーンは、きっと覚えて下さる方も多いと思う。ハーブが、獲物を狙う動物のような目でじーっと見て、「買ったときは、この置き方じゃなかった」という、あの場面。

チェンバレンは、1950年代終わりに出てきた抽象表現主義の作家。絵の具の代わりに、廃車のパーツを使い、キャンバスではなく、立体的な彫刻で知られる。アメリカの消費文化の象徴とも言える車を素材にして、ダイナミックでカラフルな色使いの彫刻は一斉を風靡した。

今だから言えるけれど、実は私は「ハーブ&ドロシー」の映画のために、チェンバレンをインタビューしたことがある。二人が、結婚後初めて購入した作品を買った時の様子やいきさつを是非知りたいと思ったからだ。NYから車とフェリーを乗り継いで4時間かけて、シェルター・アイランドという小さな島に、2005年の12月にカメラマンのアクセルと二人で訪れた。

そこで待っていたのは、彼の半分くらいの年のお美しい奥様(4人目)と、同じくお美しい高校生の娘さん2人。体育館くらいあるような巨大なスタジオにあふれ返る色とりどりの車のパーツと、その合間にそびえる彼の新作は圧巻だった。

とても愛想のいい奥様と娘さんとは対照的に、のっけからチェンバレンは不機嫌だった。何を聞いても「知らん」「覚えてない」の繰り返し。明らかに人を見下す態度。そして最後に「ああ、あのチビのことか?」スタジオの後ろの方で、母と娘たちは、小動物のように身を寄せて怯えながらその様子を見ていた。

インタビューは15分で終わった。

ところが、カメラを片付けたとたんに彼は上機嫌になって「今実験的につくってる新作を見せるよ」と自宅兼オフィスに案内してくれる。写真をコピー機でキャンパス地に印刷したイメージを見せてくれた。私はインタビューが上手く行かなかったことで、ぶりぶり怒っていたので、そっぽを向いていた。今思うと、何て大人気ない。

すると、チェンバレンがその作品にサインして「メリークリスマス!」と言ってアクセルと私に一点ずつプレゼントしてくれるではないか。(そうだ、今思い出したけれど、あの作品はどこへ行ってしまったんだろう?!)

何とかチェンバレンのインタビューを使えないかと編集のバーナディンと頭をひねったけれど、ダメだった。というのも、彼の悪辣さは、映画のトーンにあまりに合わない。このインタビューを使うとチェンバレンも、ハーブ&ドロシーの事も良く見えないし、何ていうか、映画が濁ってしまう。

彼の口の悪さは、世間で有名だったらしい。ということを、展覧会のオーディオガイドで知った。中西部生まれで幼い時に両親が離婚し、中卒、若い頃に奥さんを病気で亡くしていた。彼のはったりの陰には、とても傷ついた心があったのかも知れない。本当はビッグハートの持ち主である事を隠すための、彼独特のはにかみだったのか、とも思う。

グッゲンハイムで見た作品の数々は、そんな彼の複雑な人間性が垣間見えるものだった。乱暴なようで、エレガント。雑なようで繊細。男っぽいけれど女性的。そして、廃車になった車のバンパーとは思えてないような見事な色使い。ハーブ&ドロシーのコレクションにあるような小さな作品も何点かあった 。ハーブが言ったように、どれも「小品ながら大きなスケールを感じさせる」ものだった

アートのことを全く知らず、彼の作品のこともわからないままインタビューしていた私。チェンバレンは、そんな私の無知を見抜いていたんだと思う。失礼なのは、私の方だった。

チェンバレンは、去年の12月、このグッゲンハイムでの回顧展のオープンを待たずに 、84歳で亡くなった。彼には「ハーブ&ドロシー」が完成した時の案内さえ送らなかった。彼は、映画を見てくれたのだろうか。それを確かめることも、お詫びを言うチャンスもなかったのが、悔やまれてならない。

いつも頭を抱えるカメラマン探し

ラスべガスとモンタナ州ビリングスでのロケを終えて昨日NYに戻ったところです。ラスベガスでは、ハーブ&ドロシーのコレクションを寄贈直後に閉鎖になってしまったラスベガス美術館と、コレクションの引取り先のネバダ大学、モンタナ州では、先日メールマガジンでも紹介した「VISIBLE VOLT」を持つイエローストーン美術館を取材しました。

地方で撮影する際に、いつも迷うのがカメラクルーです。NYで一緒に仕事をしているクルーを連れていくには費用がかかる。でもそれなりにレベルの高いカメラマンを、安い予算で探せるのか。そして新しいカメラマンと仕事する際には、一からプロジェクトの説明をしなくてはなりません。いつも迷いますが、結局今回も、私一人が現地へ行って地元のクルーを雇って撮影しました。 

現地クルーと仕事をする利点は、旅費を節約できるだけではなくて、彼らが土地勘を持っていることです。例えば、ラスベガスの町の紹介カットを撮影するには、どこからどう撮ればいいのか、などよくわかっているので、とても助かるわけです。NYのクルーと現地へ行くと、レンタカーをして、地図を見たりGPSを頼りながら知らない土地を移動することになるので、こういう撮影や移動に余分な時間とエネルギーがかかってしまいます。

では、どうすれば優秀な現地のカメラマンを探せるのか?これは、私がNHKで仕事をしていた頃から悩みのタネで、今でもかなり苦労します。私がいつも使う方法は、まず地元のテレビ局のニュースルームに連絡して上手なカメラマンを紹介してもらうこと。これが一番確実です。また、よく使うのは、MANDY.COMのようなサイトで、全世界で登録しているありとあらゆる映画やTVの製作クルーを、地域とキーワードで検索できるようになっています。

TV局の推薦&サイト検索&で上がった名前に片っ端から電話をして、まず日程が空いているかどうか、私たちが使っている機材があるかを聞き、そして今回どのような撮影をしたいかを伝えます。

次に値段の交渉。ここが一番の難関。というのも私たちが提示する値段は、業界の料金の半分以下だからです。ここで、半分以上のクルーが即NGになります。「いい映画だから協力したいけど、それは絶対無理」とやんわり断られる場合もあるし、「お話になりません」と一笑に付される場合もある。そこで黙って引き下がらずに、ではあなたがダメなら、他にいいカメラマンを紹介して欲しい、とお願いします。

普段どんなにギャラが高いカメラマンでも、 映画に共感してくれると、ギャラに関係なくOKしてもらえるので、そういう人を粘り強く探します。そして最後5〜6人まで絞る。さらに彼らが今までどんな仕事をしてきたのか、今までどんなドキュメンタリーやTV番組の仕事をしてきたか、を詳しく聞きます。これまで仕事をしてきた顧客リストにABCやCNN、ディスカバリーチャンネルの名前が連ねてあっても、安心できません。仕事内容はカメラアシスタントだったりPAだったりすることも多々あるからです。

アメリカでは、ものすごい数のカメラマンが存在して、皆それなりに食べて行けるということは、それ相当の仕事があるわけです。そして、多くのカメラマンは、企業の宣伝ビデオの仕事で生計を立てています。こうした企業ビデオを主に撮影しているカメラマンは、使う筋肉が違うので、ドキュメンタリーの撮影に慣れてる人でなければ厳しいわけです。彼らが撮影したフッテージをYouTubeなどで見せてもらいますが、それでも油断できません。実はそのフッテージは全て本人が撮影したわけではなく、何人ものカメラマンで撮影した場合があるからです。

今回は、NYのスタッフのキキさんがこの執拗なリサーチのプロセスを経て7人まで絞ってくれて(途中で「メグミさん、死にそうです!」という悲鳴)、最後は私が電話で話して決めました。電話で話すと、人柄や私との相性、このプロジェクトにどれくらい興味を持ってくれているか、など色々なことがわかります。

現地で撮影を始める時の最初は、大抵ワイドショットや、建物の外観。そこで三脚を立てた時に、大体カメラマンの力量がわかります。現場を見て、三脚をどのアングルからどう立てるのかで、カメラマンのセンスがでているからです。今回仕事をしたラスヴェガス、モンタナでのクルーは、両方ともすばらしかった。ラスヴェガスで仕事をしたジャスティンは、地元のネヴァダ大学の映画学科を卒業して、カメラマンになり立てですが、フットワークも軽く、若いけれど、なかなかセンスがいいカメラワークでした。モンタナのリックは、かなりのベテランで、何も言わなくても次から次へと自分で判断して撮影してくれました。モンタナにはイエローストーン国立公園があるので、ネイチャー系の撮影が多くあります。彼は、ナショナル・ジオグラフィックお抱えのプロダクションで働いて鍛えられたそうです。

どんなに下手くそなカメラマンでも、結局合格点の映像が撮れるかどうかは、結局監督の力量。だから、あまりカメラマンの悪口は言えません。「カメラマンがマズかったから、こんな映像しか撮れなかった」とグチを言っても誰も慰めてくれませんから。

今回のメルマガは、初めての経験で神経衰弱にかかりながらも頑張ってすばらしいクルーを探してくれたキキさんに捧げます。
キキさん、本当にお疲れさまでした!

水問題を扱ったちょっとコワいドキュメンタリー Last Call At The Oasis

2週間半の日本滞在を終えて、先週NYに戻りました。日本では、連日のミーティングでしたが、最終日に中目黒で見事満開の桜を見ることができて、シアワセな気分でNYへの帰路につきました。桜が「お疲れさま~」 と、慰労してくれてるようでした。

帰った直後のNYは東京よりもずっと寒かったのに、昨日と今日、気温が突然30度近くまであがって突然の真夏日。昨日は、時差ボケと暑さでぼーっとする頭を抱えて、フォード財団が主催するENVISION 2012 というイベントに参加しました。

そこで見たドキュメンタリー ”Last Call at the Oasis “は、時差ボケの私にも目が離せないほどスリリングな映画でした。
http://www.lastcallattheoasis.com/
テーマは、水の危機。水問題を扱ったドキュメンタリーは多くありますが、多くは途上国での水不足や水質汚染がテーマ。この映画は、意外にもアメリカが主な舞台になっています。

アメリカでは、生活していて水に問題があるなんて殆ど意識しません。だからこそものすごい勢いで水を消費するアメリカ人に、この映画を見て欲しかった、と監督は言います。地球上にこんなに水が溢れているのに、どうして水が不足するのか?と思うかも知れませんが、人間の生活に使える水は、地球に存在する水のわずか2% だそうです。海水を利用できないのか?と思いますが、海水を淡水に変えるには、多大なコストと燃料がかかります。砂漠の真ん中にあるラスべガスでは、あと数年で水が完全に枯渇するそうです。人口が増えて、水の消費量が増えて、使える水がものすごい勢いで減っているという現実。情報として何となくわかっていても映像で見せられた時のインパクトは大きかったです。

さらに、水の汚染も深刻です。工場廃棄物や化学物質による汚染、畜産動物の排泄物の汚染もさることながら、私たちが体内に取り入れている大量の薬物—抗生物質やホルモン剤などが自然界に大量に流れ込んでいて、こういう薬物は、浄化できないそうです。それを考えると、気軽に頭痛薬や風邪薬をのむのもためらいますよね。

映画を見終わった時は、無性にノドが乾くと同時に思わずトイレに行きたくなりました(笑)

ENVISION 2012 は、フォード財団と国連が協力して進めているドキュメンタリー映画のプロジェクトで、グローバルな問題を、映像を通じて啓蒙していこうという試みです。一企業が、ここまでドキュメンタリー映画にコミットして、国連も巻き込んで支援してくれるシステムは羨ましいですね。日本でも、ドキュメンタリー映画への理解がもっと広まって、企業も参加してこういう啓蒙活動にどんどん使われればいいなあと思います。

明日は、エディターのバーナディン•コリッシュと終日,続編の映画についての打ち合わせがあります。バーナディンは、NYから車で3時間ほど北へ行ったウッドストック(そうです、あの歴史的なウッドストックのコンサートがあった町です)に住んでいるので、彼女とのやりとりは、普段はスカイプか電話。実際に会ってミーティングするのは、今回で2度目です。最近、アメリカの映画監督と編集者は、このように遠距離で仕事をするケースが増えているようです。私にとっても初めての試みなので、どんなプロセスになるか楽しみ、と同時に少々不安。映画は、追加撮影もほぼ終えて、これから 本格的な編集作業に入ります。撮影したフッテージを全てリアルタイムで試写し終わり、明日映画の構成、ビジョンなどをブレインストーミングして決めていきます。

これからの3~4ヶ月で、いよいよ映画が形になって現れてきます。今後の進展は、また追ってご報告します。

アーティストMarty Johnsonー多作の秘訣は?

「ハーブ&ドロシー」では、多くの著名なアーティストを紹介しましたが、二人がコレクションしたのは、必ずしも成功したアーティストの作品ばかりではありません。続編「50X50」では、無名アーティストを何人か紹介します。その一人、マーティ・ジョンソンを、2月末に取材&撮影しました。

1970年代の終わり、Found Objects(身の周りにあるモノ&使い捨てられたモノ)を使ったサイケデリックな色使いのポートレイトや彫刻で、マーティは一時脚光を浴びます。ハーブ&ドロシーと出会ったのは、その頃です。しかし、移り変わりの激しいNYのアート界は、あっという間にマーティにそっぽを向けます。

80年代終わり、アートでは生活費を稼げなくなったマーティは、NYの小さなワンルームのアパートを引き上げ、父親の事業をつぐために、実家のあるバージニア州リッチモンドに拠点を移します。以来、配管工事の部品販売のビジネスを継いで大成功させ、事業の合間に創作活動を続けました。

25年以上、展覧会も開かず、一点の作品を売ることもなく、ただひたすら、自分の楽しみだけのために作品を創り続けたのです。今、マーティの、スタジオ兼ギャラリ―になっている小さな4階建てのビルは、おびただしい数の作品で溢れ返っています。彼自身も数えたことはないけれど、推定1万点はあるとのこと。これは、日曜画家の域を越えた多作ぶりです。こんなに旺盛な創作意欲を持ち続けるのは、プロのアーティストでもめずらしいのではないでしょうか。多作の秘訣は?と聞いたところ、「アートが僕にとって生きがいであり、唯一の人生の目的。創作をやめる事は、イコール死を意味する。黙っていても自分の内側からどんどんアイディアが湧いてくるんだ。」

作品を「売る」ことを潔く放棄して、自分の好きな時に、作品を好きなだけ創るという選択をしたマーティ。こういうアーティストとしての生き方もあるのか、と考えさせられました。それは、アート・コレクションと仕事を区別し、購入した作品を決して売らなかったハーブ&ドロシーの精神にも通じるところがありますね。

マーティの作品は、ハーブ&ドロシーの「50X50寄贈プロジェクト」を通じて全米35の美術館に所蔵されることになり、少しずつ注目を集めはじめています。地元バージニア州では、去年、27年ぶりに個展も開かれました。アーティストとして、再び多くの人に作品を見てもらえることを、彼は素直に喜んでいるようです。

イエローストーン美術館のすばらしいアイディアーVisible Vault

大きな美術館には、数千点、数万点という所蔵作品がありますけど、その全てを見るのは不可能ですよね。ところが、この問題を解決した美術館が、アメリカにあるのです。先週、ハーブ&ドロシーのコレクションの寄贈先の一つ、モンタナ州のイエローストーン美術館を取材しました。ここでは、コレクションの保管スペースを一般公開する、というユニークな試みを進めています。美術館の所蔵室は、VAULTと言って、普通は美術館職員しか入れません。イエローストーン美術館では、VISIBLE VAULT と名付けて一般にも解放し、全部で7300点の収蔵作品を見られるようにしました。作品を飾った網の扉が何重にも続いていて、ガラガラと引き戸を開けるように出して見るという仕組みです。他にも額作りなど展覧会の準備風景や、修復作業を見学できます。このアイディアを考えたのは館長のロビン・ピーターソンさん。「展覧会で一般公開される作品は、美術館の収蔵作品のほんの一部。ほとんどは、倉庫にしまわれたままで一般の人の目にふれる機会がない。 美樹館の運営を透明にして、地元の人により興味を持ってもらいたかった」とのこと。

アメリカでも、例のないVISIBLE VAULT。セキュリティが大変そうですけど、すばらしいアイディアですね。日本の美術館でも是非取り入れて欲しいです。こちらのトレーラーでイエローストーン美術館とVISIBLE VAULTの様子を見ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=FOncCFaV31s

結婚50周年を迎えたハーブ&ドロシー! 二人の”新年の誓い”は!?

明けましておめでとうございます。

2012年も引続きよろしくお願い致します。
アメリカでは、New Year’s Resolution—「新年の誓い」と言って、
新年に達成したいことをリストにします。つまり決意表明です。
日本で言う「新年の抱負」よりはもっと具体的で、自分に対して結んだ固い約束事。
健康やお金のことが多いようですが、毎年アメリカ人の「誓い」のトップは
「減量」です。
アメリカの成人の3分の2が「太り過ぎ」、
さらに3分の1が「肥満」という統計からすると、それもうなずけますね。
毎年、お正月明けに、スポーツジムやヨガ教室に行くと
超満員なのも「誓い」の効果でしょう。
でも1月末には、大体通常通りに戻ってますけどね(笑)

私も毎年新年の誓いをたてて紙に書き留めます。
そうすると、不思議と頭に残って頑張れるから不思議です。
今年の私の誓いは、何としても『ハーブ&ドロシー50X50』を完成すること。
必ず実現するよう頑張ります!

今年皆さんは、何を実現したいですか?
是非、皆さんも「新年の誓い」を立ててみて下さい。
そして、それを家族やお友達に伝えておくことが大切です。
周りの人と共有すると後には引けなくなって、実現に大きく近づきます。

先週1月14日(土)は、ハーブ&

ドロシーの結婚50周年記念日。ハーブの妹さん一家が集まって
近くのアルザス料理のレストランでお祝いをしました。
お二人に半世紀も続いたパートナーシップの秘訣は?と聞いたところ
「同じ趣味を持つこと、でも銀行口座は別々に」という答えでした。

ドロシーは、50周年記念に「アップルTV」を買いました。
パソコンとTVを繋いでネットダウンロードで、映画を見ると張り切っています。

ドロシーがMacBookを買ってから丸4年。
今では、 朝起きてまずパソコンを開き、
メールをチェックするのが日課になりました。(このシーンは、続編に入ってます!)
年々ドロシーは、テック周り強くなってきているので、感心します。
76歳にして、新しいテクノロジーを生活に取り入れるって大変なことですよね。

そうそう、ハーブ&ドロシーの「新年の誓い」は何だと思いますか?
気になりますよね。毎年聞きますが、いつも答えは同じです。
「毎日健康で平和に過ごせること」。以外は何もいらないそうです。

今年もお二人が健康でいい年を過ごせますように。
そして完成した「ハーブ&ドロシー50x50」を見て
もらえますように。心から祈るばかりです。