9/11から10年―忘れることと許すこと

9/11から10年たった今日、あの日に撮影したテープを引き出しの奥から引っぱり出して見てみた。10年間一度も見返すことがなかった映像だ。

10年前の9月11日の朝は、雲一つない真っ青な空が広がっていた。ツインタワーに飛行機が突っ込んで行った時、私は今と同じブルックリン・ハイツのアパートで呑気に寝ていて、朝からじゃんじゃんなり響く電話に起こされた。日本やヨーロッパからかけてきた家族や友達が、次々とメッセージを残していた。『NYが大変なことになってる!』と。起きだしてTVをつけて愕然とする。外へ飛び出して、イーストリバー沿いのプロムナードへかけつける。そこは、マンハッタンのちょうど川を挟んで向かい側に当たり、高台になっていて、目の前にウオール街の摩天楼が見える。 対岸の世界貿易センターからもくもく煙が上がっているのを、大勢の人が呆然と眺めている。静かに涙を流している人もいる。ラジオにかじりついて、ニュースを聞いている人もいる。

心がざわざわする。一体世界はどうなってしまうんだろう。私は今、何をすべきだろう。とりあえず今起きていることを撮っておこうと、ソニーのビデオカメラを取りにアパートへ戻る。プロムナードへ引き返して来て、その手前でドッカーンというものすごい音。爆弾が落とされたのかと思った。戦争が始まったのかと思った。ツインタワーの一つが崩壊した音だった。その灰塵で快晴の空が途端に曇って、濃い霧がかかったように世界が灰色になる。1メートル先も見えない。プロムナードで静かに対岸を見守っていた人たちからどよめきが起きる。「次は、どこが狙われるんだろう?ブルックリン橋?」

この時、私が圧倒されたのは「憎しみ」のパワーだった。この世界のどこかで、誰かがアメリカを、そしてNYに住む私たちをとてつもなく憎んでいる。その憎しみが、前代未聞の「暴力」となって、今目の前に現れている。それは、言葉では言い尽くせない衝撃だった。怒りという
より絶望、悲しみだった。人の憎しみというのは、こんなスケールで、形で、具現化するものなのか、と。

私はカメラを持ってブルックリン橋からマンハッタンへ向かう。とりあえず現場へ行って記録しなくては、と思う。今起きていることを忘れないように。

橋を渡ると、マンハッタン側から灰にまみれた人たちがゾンビのように続々と歩いてくる。ほとんどがスーツ姿。ウオール街で仕事をしていた人たちだろう。まるで映画を見ているような光景。

マンハッタンに入ってから、人の流れや警察の支持に逆らってダウンタウンへ向かおうとするが、全くダメだ。当時の私は、プレスパスもないので、現場にも近寄れない。橋を渡ってしばらくすると、知り合いにばったり出会った。彼女は、当時ツインタワーのすぐ近くにオフィスがあるドイツ銀行に勤めていた。頭からつま先まで真っ白だった。オフィスへ着く直前にタワーが崩れてきて、吹き飛ばされたらしい。
怪我もなく無事だったのは奇跡に近い。でも靴はなくして裸足で、ボロボロの鞄の中は、灰だらけだ。私を見てワーッと泣き崩れる。
彼女は、そのままアッパーイーストのアパートへふらふらと歩いて帰って行った。しばらくして、ドイツ銀行を辞めて、アラスカへ移住した、と聞いた。

その後、何を撮るでもなく大混乱のNYの街を彷徨い、カメラを回し続けた。夕方、力尽きた頃、歩いてとぼとぼとマンハッタンブリッジを渡ってブルックリンに戻る。撮影したテープを家に帰って一度だけ見てそのまま引き出しに放り込んでしまった。とりあえずカメラをまわすことで、あの現実離れした1日をやり過ごすことができた。でもテープは二度と見直さなかった。

今日プロムナードへふらりと行って見ると、ツインタワーがあった頃の写真が飾られて、その前に花が添えられていた。『NEVER FORGET』(決して忘れるな)という一言と共に。9/11を境に、NYが、アメリカが、世界が一変したと言う。では、何がどう変わっただろう、と身の回りの生活を見回してみる。空港のセキュリティは厳しくなった。ニューヨーカーは、少しだけ忍耐強く、そしてやさしくなった(気がする)。”If you see something, say something” 『何か(不審なもの/人を)見かけたら、通告しよう』なんていうモットーが日常の一部になった。大統領がかわり、深刻な不景気になった。他には明らかに変わった、と言えることはないかも知れない。ただ、あの日の衝撃は、私たちの中で、まだ消化しきれずに残っている。グランドゼロは、綺麗に整備されて『フリーダムタワー』が建設途上だけれど、
あの時に対岸まで飛んできたツインタワーの残留は、未だにこの辺をちらついている、そんな感じなのだ。

丁度10年目の今日、街角から、メディアから、9/11のことを『決して忘れるな』という声が一斉に聞こえてきた。クリントン元大統領は演説で「この日のことは、2500年たっても決して忘れない」と言った。その言葉は、12月になるといつも流れる“Remember Pearl Harbor” 『真珠湾を忘れるな』のマントラと重なる。この『忘れるな』という呪詛が、広島で、長崎で30万人の命を一瞬のうちに奪う結果となった。

2001年9月11日、NYで3千人近い無実の人の命が奪われたことは覚えておくべきだろう。でも、もう一つ忘れてはならないのは、9/11をきっかけにアフガニスタンとイラクで二つの大きな戦争が始まったこと(しかもイラクは、9/11とは全く関係ないのに)。そして数十万人もの人々の命が奪われ、このドロ沼の戦争には10年たった今も終わりが見えていないことだ。

クリントン元大統領は、以前にも『決して忘れない』と言ったことがあった。任期を終えた時の記者会見で、モニカ・ルインスキーをきっかけとした一連の大統領弾劾訴追事件について質問された時。ある記者に『あなたは、この事件をいつか忘れられますか?』と聞かれて“I can forgive, but never forget.”『許す事はできるけど、決して忘れはしない』と答えた。

英語の表現では、よくFORGET とFORGIVE (忘れることと許すこと)がセットで使われる。「9/11を決して忘れるな」という言葉の向こうにちらついているのは、いつまでも憎しみの気持ちを忘れるな、許してもいけない、というメッセージだ。振り上げたコブシを下ろせずにいるアメリカは、こうつぶやくしかないのだろう。

NYのあるヨガの先生からは、こんな教えを授かった。『とにかく忘れなさい。そうすれば自然に許せるようになる』。
忘れて、そして許すことができなければ、私たちの住む世界、社会、職場、家庭から、憎しみや対立、戦争はなくならない。

9/11を忘れるな!という大合唱が響くNYで、10年前に撮影した映像を見ながら,今日1日、そんなことを考えた。

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