アーティストのウィル・バーネット

先月、ハーブ&ドロシーの長年の友人で、
アーティストのウイル・バーネットが亡くなった。101歳だった。

5年前、『ハーブ&ドロシー』のためにインタビューした当時は、97歳。
車椅子生活ではあったけれど、言葉使いもしっかりしていて、
97歳とは思えないほど矍鑠としていた。
ウイルは亡くなる直前まで創作していたという。

彼が“Collectors” というタイトルで描いたハーブ&ドロシーの
ポートレイトを覚えている人も多いかと思う。
シンプルだけど、二人の性格をとても良く表している。
ハーブが前屈みになって、作品を食い入るように見つめている後ろで、
ドロシーが顎に手をあてて、背筋を伸ばして考えにふけっている姿を描いた作品。

一見普通のドローイングのようだけれど、
縦=ドロシーと横=ハーブの構図は絶妙。
それは、直感のハーブと考察のドロシーという、
二人の性格とパートナーシップのバランスの象徴でもある。
と同時に、一般的なコレクターの性質でもある。

一見シンプルなドローイングに見えるけれど、
実はとてもコンセプチュアルで奥深い作品だ。ハーブが亡くなった時から、
ナショナル・ギャラリーでこの作品が展示されている。
ウイルが亡くなって、二人の追悼になってしまった。

映画の中でも使ったインタビューで、
彼は、作品を見る目=審美眼は、持って生まれたものだ、と言っていた。
富豪とか貧乏、教養がある、ないとは全く関係ない。
それは、彼が美術大学で多くの生徒を教えてきた経験からわかったことだそうだ。
ハーブとドロシーの「見る目」は、持って生まれたもので、
誰もが養えるものではない、というのがウイルの説だ。

果たしてそうだろうか?
確かに持って生まれた資質はあるかも知れない。でも、アートやに限らず、
あらゆる才能と同じで「いいものを見る目」というのは、
訓練によっても養われるのではないか、と思う。

逆にどんなに才能を持って生まれても、その才能を見つけて、
育てなければ何もならない。「見る目」も同じだと思う。
アーティストのリチャード・タトルも、インタビューで「ミルメ」と
日本語を使って「こんな素晴らしい単語はないよねえ」と感心していた。
「見る目」という言葉は、日本語独特のものらしい。

それで言うと、ドロシーは、ハーブに出会ってなければ
「見る目」を養わなかっただろう。
ハーブが亡くなってからは、「見る」ことを辞めてしまった。
ハーブの死とともにコレクション終了宣言をし、
作品を買う事も「見る」ことも終了した。

だからドロシ―曰く、もう「見えない」という。
それは、ピアノの練習をずっとしてないと指が動かなくなったり、
運動をしていないと筋肉が衰えるのと同じことらしい。
「見る目」も訓練しないと、衰えてくるというのだ。
彼らが、作品をコレクションする時の「見る」は、
私たちが美術館やギャラリーにふらっと行って
展覧会を見るのとは違う次元の「見る」なのだと思う。

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昨日、ドロシーがオフィスを訪れた。
映画のほぼ完成版をチェックするために。

『ハーブ&ドロシー』の時は、ハーブと一緒にマッチ箱のような
小さな編集室を訪れて、編集のバーナディンと4人で試写した。
見終わった後、ハーブは「ブラボー!」と叫んで、拍手。
ドロシーは「私たちはごく平凡は人間なのに、この映画だと、何だかとても
特別な人のように見えるわ」と言いながら、感動して涙を流してくれた。
それを見て、バーナディンと私ももらい泣きして皆で嬉しい涙を流した。

今回の試写では、ドロシーが一人で映画を見てどんな反応をするだろう?
ドキドキだった。映画には、生前のハーブの姿で溢れている。
映画が世界中で公開された今も「ゴミゴミしたアパートが恥ずかしいわ」と
つぶやくドロシーから、ダメだしが出ないだろうか?
ハーブが亡くなった後のエピローグには、どんな反応を示すのだろう?

ドロシーは、途中まで冷静に「この人のコメントのここは間違っている」と
指摘したり、「数学と違ってアートには間違った答えはない」と
子供たちに語りかける美術館ガイドのせりふに「その通り!」と
同意したりしていた。
ハーブが亡くなってからの最後4分間のシーンは、
一言も話さず静かに涙を流してみていた。
見終わった後は「見るのがつらいわ」という一言。
私たちも、そんなドロシーを見るのがとてもつらくて涙がでた。
4年前の試写の時とは違って、今回は悲しい涙だった。

私たちは、ハーブと毎日画面を通じて会っている気がしていた。
でも、ドロシーにとっては50年間人生を共に過ごしたハーブと別れをつげ、
少しずつ元気になってきたところで生前のハーブを見たのだから、そ
の悲しみは計り知れない。

試写の後、ドロシーと一緒にランチに出かけたが、映画の話は一切でなかった。
ドロシーにとっては、あまり満足いく作品に仕上がってなかったのだろうか、
と少し心配になる。

夜になって「すばらしい映画をもう一本完成できてよかったわね。おめでとう!」
というメッセージがメールで届いた。

少なくとも、ドロシーはこの映画を祝福してくれているとわかってホッとした。
ハーブに見てもらえなかったのは残念でならないけれど、
製作中もずっとハーブに見守られているという気がしていた。
ハーブも向こう側から喜んでくれていること願う。

One thought on “アーティストのウィル・バーネット

  1. Reblogged this on and commented:A wonderful and timely reminder for how shifting our persepctive makes a HUGE difference. Thank you so much GINA dear (Psioesrofns for Peace) for beaming us with your light!!!

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