ハーブの死から10日

7月22日にハーブが89歳の生涯を閉じてから、ほぼ10日になる。

今日も二人のアパートを訪ねてみたが、ハーブがもうここに存在しないという実感が湧かない。ハーブがベッドルームからひょろひょろと出てくるのではないか、という気がしてならない。たぶん多くの人の死がそうであるように、「ハーブの死」は突然やってきて、そして去って行った。

6月半ば、私が日本に到着してから間もなく、ハーブが入院し、その後看護施設に移されたとドロシーからの一報が入った。
体力が落ちて、自分で立ちあがれない程衰弱している、早くNYに帰って来てほしい、と。

6月30日夕方、NYに着いて、家にスーツケースを置いてから、すぐにハーブの入院先へ向かう。この時は、まだハーブはベッドに起き上がって、会話もできる状態だった。1ヶ月近く食べ物をほとんど口にしていなかったけれど、まだ点滴で命をつないでいた。

日に日に弱って行くハーブの姿を見て、周囲の緊張感は高まっていく。特にドロシーは、50年間共に暮らしたハーブを亡くすことへの不安、恐怖、悲しみに日々苦しみ、なす術がないことに苛だちながら、朝から夕方7時まで、一日も欠かすことなくハーブの側に付き添っていた。

人は「わからない未来」に直面すると、不安と恐怖に襲われる。そして、不安と恐怖が募ると、それは怒りに変わる。ドロシーとハーブの家族の間に立って、家族のようだけれど、本当の家族ではない私。ドロシーや家族から飛んでくる、不安や恐怖を私はどう受け止めればいいのか。今回一番難しかったのがこの部分だった。私が家族だったら、無理してでもハーブを退院させたと思う。そして、大好きなホットドッグも、最後に食べさせたと思う。でも、家族ではない私には、できなかった。

しかし、ハーブの死が確実に間近にせまっているのが、誰の目にも明らかになった時、ドロシーの不安と恐怖はすーっと消えたようだった。彼が亡くなったら、誰に連絡を取り、どのように行動を起こすべきか、ドロシーは静かに現実と直面して準備を整え始めた。ナショナル・ギャラリーから発信するプレスリリースにも目を通し、記述に間違いがないかを確認する余裕も出ていた。ナショナル・ギャラリーのような大美術館が、一コレクタ―の死のプレス・リリースを出すのはかなり異例だと後で聞いた。

「その時」が来て、ドロシーは真っ先に私に電話をしてくれた。「Herb just died – ハーブが死んだわ」という一言だけで、電話は切れた。私が駆けつけた時にも、ドロシーはハーブの亡骸の側で、あちこちに電話連絡をしていた。

ハーブの死後、1時間もしないうちにナショナル・ギャラリーからプレスリリースが発表され、3時間後には、ネット上で記事が出始め、24時間以内にニュースは世界を駆け巡った。この時点で、すでに150のメディアに取り上げられていたという。まさに、ネット時代のニュースの伝わる早さを実感した。翌日、ワシントン・ポストの一面に記事が出たほか、NYタイムスやボストングローブでも大きく取り上げられ、3大ネットワークのCBSは、全国ニュースで2度もハーブ死去の短い特集を放送した。

葬儀には、突然の連絡だったにもかかわらず、100人を越える友人やアーティストが集まった。葬儀の様子は長くなるので、ここでは省略して、また別の機会に詳しく書きたいと思う。

「ハーブと共に始まった私たちのコレクションは、ハーブと共に終了しました。」ドロシーの宣言がお葬式で伝えられた。「アーティストからの作品も、今後は一切受け取れないので、ご理解下さい。」一つの時代に幕が降りたことを象徴する言葉だった。

私は、編集室に戻り、エディターのバーナディンと共に頭を抱える毎日が続いている。映画の中で、ハーブの死をどう伝えるのか。エンディングはどうするのか……。秋の世界プレミアに間に合うのか……。

ハーブの映像を見て涙している間もないのは、せめてもの救いだけれど。

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