サラダ中毒にかかってしまった

オフィスの近くに去年できたサラダ・バー Sweet Green のサラダがたまらなく美味しい。私は同じ店に連日通うことなんてほとんどないのだけど、今週は、連休明けの火曜日から、4日連続して食べてしまった。週末になると、早く月曜になってここのサラダが食べたい!と思うくらいだから、かなりの中毒症状だ。

ランチ時はいつも長蛇の列

昼時には、いつも長蛇の列ができるこの店は、ワシントンDCで始まった東海岸のチェ―ン店。新鮮な地元の有機野菜を使って、シンプルだけど考え抜かれたサラダのメニューが揃っている。自分で好きな素材を自由自在に合わせることもできれば、オリジナルのメニューもある。嬉しいのは、ベースになるグリーンの種類が豊富で、ホウレン草、メスクラン、ルッコラ、ケールなどから選んだりミックスできること。

例えば、今日食べたSantoriniは、ロメイン・レタスに、レモン味の海老、フェタチーズ、グレープとひよこ豆、それにヨーグルト+きゅうり+バジリコのドレッシングをかけて、最後は、レモン半分をじゅーっと絞ってできあがり。(445 cal)

私のお気に入りは、Spicy Sabzi(ネーミングもすてき)。ホウレン草、スパイシーなキノア、スパイシーなブロッコリ、にんじん、生赤カブ、芽野菜、ロースト豆腐に、ドレッシングはニンジン+チリ+ビネガー、最後の仕上げに辛いシラチャ・ソースをひとひねり。(408 cal)

ベルトコンベア式に、グリーン、野菜の素材、タンパク質素材をてきぱきとボールに入れて、ドレッシングをかけ、混ぜ、容器に詰め込み、最後にレジで支払う。そのプロセスが実に効率よく組織立てられているから、長蛇の列ができていても、せいぜい待つのは10分程度。

私も以前はサラダを食べる習慣はなかったのだけれど、撮影でアメリカ人のカメラクルーと仕事するようになってから、開眼。

彼らの多くは、撮影中のランチにはサラダしか食べないのだ。最初は、何かに遠慮してるのか、ダイエット中なのかと思った。実は、ちゃんとした理由があって、炭水化物を食べると眠くなって午後に集中力が落ちるから、炭水化物は取らず野菜しか食べないのだという。

それを聞いた時は、さすがプロ、と感心。以来、私も仕事中の食事はなるべく炭水化物を避けて、野菜中心で少しだけタンパク質を取るようになった。サラダをお腹一杯食べても、午後も朝と同じ集中力がキープできる。そして、夕方6時頃になると、丁度いい感じでお腹がすいてくる。

日本ではありとあらゆる食べ物が美味しいというのに、サラダはないがしろにされてる気がする。「生野菜は身体を冷やすから」という漢方の考えからなのだろうか。もっとサラダの美味しさが理解されて、いつかSweet Green のようなサラダ・バーができることを切に願います。

Sweet Green, HP http://sweetgreen.com

中国茶に眠ってる感覚を呼び覚まされた

先日、友人の紹介で香港出身のグラフィック・デザイナー、ティムに会った。彼は、子供の頃からお茶の魅力にとりつかれ、ソーホーの仕事場の一角に秘密のティー・サロンを設けて、中国茶を振る舞っている。つまり、予約制で外には宣伝していない、とてもプライベートなサロン。

私には、全くお茶の素養はないのだけれど、2時間に及ぶ濃厚な体験で、 日本に茶を伝えた中国には、全く違う茶の文化があることに驚いた。

日本のお茶は、招待した主人と客との間のおもてなしの作法と、道具や器などに芸術性を追求している。中国のお茶は、お茶を飲む人とお茶の純粋な関係、つまり茶の味と香りの楽しみを極めたもの。

ティムは、まずお茶の葉にお湯を通したものをカップに入れて蓋をし、「どうぞ」と私の前に置いた。蓋をあけて、どうぞ鼻を突っ込んでみて下さい、とティム。これから飲むお茶の葉の香りをまず楽しむという事らしい。そして、直径4cmほどのおちょこサイズの白いシンプルなティーカップにお茶を注ぐ。

「これを3口で飲んで下さい。中国のお茶は、飲むときに、ズルズルと音を立ててもいいんですよ。」そしてお茶を、じゅるじゅる言わせながら口の中で泳がせる。お茶の味が口一杯に広がる。意識を集中して、そのアロマを楽しむ。二口目は、お茶の苦みが消えて、少し甘くなっている。3口目を飲み終わる頃には、鼻孔、眼の裏側を通って脳みそまでお茶の香りが広がったような気がするほど、お茶の香りが頭蓋骨一杯に充満する。

では、次にとっておきのお茶を、と言って小さな急須を出してきた。「でも、その前に」と言って、今までお茶を飲んでいたカップにお湯を入れる。つまり口の中をすすいでリセットする、ということなのだけれど、そのぬるいただのお湯が、また何とも言えない甘い味。口のなかにまだほんのりと残っているお茶の香りが、お湯の味をここまで変えてしまうとは、まさにマジック。

私たちは、忙しい毎日の生活で、どれだけ自分の感覚 と乖離していることだろう。たった一杯のお茶が私たちの五感に命を吹き込み、呼び覚ましてくれる。人間の感覚とは、何て繊細で複雑なのかと思う。

急須にお茶を入れ、その上からじゃぶじゃぶとお湯をかけて暖め、またはお湯を別の容器に入れて温度を下げ、といった作業を何度か繰り返してカップに注ぐ。今度のお茶の一口目は少々苦い。でも二口目は、その苦みが和らいでいる。そして3口目は、苦みがすっかり消えて、ほんのりフローラルな味に変わっている。「ノドを通り過ぎる時の味にも注目して下さい」お茶がノドを通りすぎるとき、一瞬チョコレートのような味がした。

「お茶とは、まさに人生なんだよ」とティム。若い頃、人生とは実に苦いものだと思うよね。だけど、苦い経験を繰り返して行くうちに、つらいと思ったことも、苦に感じなくなる。そして、気がついたら人生には花の香りが漂ってることに気づくんだ。つまり、どんなにつらいと思っても、生きて経験を積むうちに、苦さが人生の味わいになってくるということ。今は苦いと思っても、通り過ぎれば、向こう側には限りなく芳醇な人生が待っているものさ。」

そんな話をしながら2杯目のお茶を入れてくれた。あれ?今度のは、ホントに苦い、というかシブいゾ!「ごめん!今おしゃべりしてて、うっかりこんなシブいお茶を入れてしまった。ちゃんと集中していないと、お茶はへそを曲げて渋くなってしまう。3回目はちゃんと味を取り戻すから」つまり、私たちとおしゃべりしていて、5秒ほど長く放置してしまったので渋くなってしまったらしい。たった5秒の差でお茶の味はこんなに変わるものなのだ。そして3杯目のお茶は、確かに、まろやかな味を取り戻していた。

飲み終わったお茶に水滴がまだほんの少し残っている。それをピエロの鼻みたいにピタっと鼻にくっつけて、残り香を楽しむ。香り、香り、香り。お茶を通して自分の感覚を取り戻し、コネクトする。眠っていた何かが、ゆっくり目覚めていくような感じ。

最後に、ティムからこんな逸話を聞いた。1972 年にニクソンが訪中して毛沢東に会った時のこと。毛沢東は、お土産に、と言って200gのお茶をニクソンにプレゼントした。アメリカ代表団は「何てケチな贈り物を・・・」と少々侮辱に受け取った。

しかし、後でわかったことは、それは中国の武夷山地区で1年に400gしか取れない大紅袍 というお茶。つまりその半分をお土産に、というのは中国の半分をニクソンに託したという意味があったという。

深遠なる中国茶の世界を知りたい方は、ティムの ブログで。(英語)http://themandarinstea.blogspot.com/