大統領選でも使われているクラウド・ファンディング

今日は、3度目の大統領討論会。ロムニーが外交問題に疎いせいもあって、お互いの突っ込みが弱くて面白くなかった。討論会後に出た世論調査では、浮動票のオバマ支持が53%・・・微妙なところですね。

何としても、オバマに再選して欲しい! 私はアメリカの市民権がないので、投票できないのだけれど、去年、クラウド・ファンディングを始めてから、みなさんに支援をお願いするだけではダメで、自分も支援する気持ちをちゃんと伝えなくては、と思い立って、以来毎月10ドルづつオバマの選挙キャンペーンに寄付をしている。

アメリカに住んで25年にもなるけれど、選挙活動に寄付したのは、今回が初めて。その後メーリングリストに載ったので、毎日キャンペーン・オフィスからメッセージが届くようになった。そして、このメールが、実によく出来ているので、いつも感心して見ている。送るタイミング、送信者の名前、体裁、内容、全てシンプルながら、相当考えられたものであることがわかる。

例えば、さっきTVで討論会を見終わり、オバマが舞台裏に退場した、と思った瞬間に、メールが届いた。

しかも、題目が “Hey”ですよ。日本語に訳すと、こんな感じ。

「メグミ、(必ずファースト・ネームで、Dear とか、敬称もなし)、
あとは、君次第。4ドル出してよ(Please もなしの命令形)。それで勝とうぜ!」

その下に、$4~250までのレベルで、QUICK DONATEのリンク、最後に 「ありがとう、バラクより」

日本語にするとものすごく図々しくてイヤな感じに聞こえるかも知れないけど、英語の表現だと実に親しみやすく、友だちからメールをもらったような感覚。

うだうだと説明もせず、人々の心を一言でキャッチできるように、とても念入りに練っているはずなのに、そういう意図も全く見えない。(でもクラウド・ファンディングの経験者には、わかる!)送り主も、オバマ本人からで(最初このメールが届いた時は、本当に驚いた!)、大統領とか、選挙事務所とか、そんな言葉は一切なし。だから、普通のメールと思って開いてしまう。

送り主は、副大統領のジョー・バイデンのこともあるし、奥さんのミシェル、ビル・クリントン、時には、サラ・ジェシカ・パーカーのように、セレブから届くこともある。でも、いずれのメッセージも、同じようにシンプルで、軽くて、でもちょっとだけ心にひっかかる事をさらっと言っている。

さすがだなあ、と思う。誰が、どのように戦略を立てているのかわからないが、オバマの選挙運動スタッフは、まさにクラウド・ファンディングの極意をつかんでいるなあ、と感心する。

で、やっぱりこの軽い誘いに乗って私もするっと$4のボタンを押して寄付をした。今日の討論、オバマが頑張ってくれたから$4くらい寄付しなくては、ですよね。QUICK DONATEのボタンをワンクリックして、パスワードを入れて、それでおしまい。このネットのインフラの整い方もすばらしい。

ということで、アメリカのクラウド・ファンディングは、大統領選にまで使われている、というご報告でした。

日本でのクラウドファンディングがスタート

今日は、みなさんにご報告とお願いがあります。

映画の製作は、いよいよ大詰めを迎えました。
来週月曜日は、サンダンス映画祭応募の締切で、それまでにできるだけ
完成に近いかたちで編集を仕上げ、DVDを送る準備を進めています。

今日と明日は、ウッドストックにある編集のバーナディンの家で
泊まり込みで徹夜の編集作業です。音楽もいい感じで出来上がってきました。
グラフィック・デザイナーは、映画の中で使われるアメリカの地図や
オープニングタイトルの制作を急ピッチで進めています。

そして昨日から、日本でクラウドファンディングをスタートしました。
完成のためにまだ足りない製作資金、そして日本で来年春の劇場公開を
実現するためにかかる、配給&宣伝費の調達のためです。
今年の夏、ハーブの急逝でスケジュールも映画の内容も大きく変わり、
オーバーした製作予算、そして、来年春の日本公開の際にドロシーに来日して
いただくための渡航費用、他宣伝にかかる経費をまかなうためです。

クラウドファンディングとは、インターネットを使って
大勢の支援者から小額を募り、アート、音楽、映画などのクリエイティブな
プロジェクトを実現するという、新しい資金調達とサポーター集めの方法です。

一般の人々が気軽に参加できるという点で、文化支援における民主的な
プロセスでもあり、欧米では、ここ2年ほどでかなり普及してきました。
中には1億円を越えるファンディング(資金調達)に成功する
プロジェクトも出てきています。

私も去年の秋、『ハーブ&ドロシー 50X50』の製作資金として
キックスターターというサイトを通じてファンディングをしました。
その結果、世界中の730人ものサポーターの皆さんから、
8万7千ドルを越える資金援助を頂きました。

英語のサイトで、手続きがわかりずらいにも関わらず、日本からも大勢ご参加
いただきました。そのおかげで、製作がストップしていた映画は撮影を終え、
編集をスタートすることができたのです。もしこのファンディングがなければ、
『50X50』の製作は、中断したままでした。

クラウドファンディングは、まさに「ハーブ&ドロシー」の精神を踏襲した、
新しい形のアート支援です。二人はわずかな公務員の収入から、
自分達が払える範囲で作品を買い集め、アーティストの成長をささえてきました。

その結果は新作『ハーブ&ドロシー50×50』で見ていただく通りです。小さな
1LDKのアパートから始まった二人のささやかな情熱の果実は、最後は全米50州の
美術館に届けられ、次世代に引き継がれる歴史的なコレクションに発展しました。

景気低迷が続く中、日本も欧米も、公共、民間を問わず、
真っ先に予算カットされるのが文化プログラムです。

特にアーティスト支援の環境がまだまだ整備されていない日本では、
アーティストが活動を続けていくことがとても困難になっています。

私は『ハ―ブドロシー 50X50』でのクラウドファンディングを何とか成功させ、
一つのモデルケースとなることを願っています。
そのために、目標値を1千万円という高い位置に設定しました。
もし実現すれば日本で最高値です。

そしてこの方法が、日本の アーティスト、音楽家、映画監督、ダンサーなど、
あらゆる種類の表現者に、アイディアを実現し、発表するための手だてとして
広まって行けば、どんなに素晴らしいだろうと思います。

主旨をご理解いただき、今回のキャンペーンに是非ご参加、ご協力いただければ
幸いです。ご支援頂いた金額に応じて、映画の前売り券、DVD、オリジナルの
Tシャツや、アーティストがデザインした限定スケッチブック、などステキな
プレゼントを沢山用意しました。そして3万円以上のご支援を頂いた方のお名前は、
全て日本語版の映画のエンドロールにお名前を掲載します。

さらに、ドロシーが出席する、日本プレミアの上映会&レセプションご招待の
チケットもあります。資金的な支援は無理、という方も大歓迎!
ツイッター、フェイスブック、ブログなどで広めていただければ大変嬉しいです。

詳しくは、こちらのモーション・ギャラリーのサイトをご覧下さい。
http://motion-gallery.net/projects/herbanddorothy5050

『ハーブ&ドロシー50X50』の完成、そして日本公開までの道のりに、
是非ご参加いただけないでしょうか。皆さんと共に、来年祝杯を上げられるのを
楽しみにしております。

どうぞよろしくお願い致します。

NYで食べる最高においしい納豆

信じられないかも知れないけれど、NYでは、日本よりおいしい納豆を食べられる。しかも、この納豆を作っているのは、日本へ行ったこともないアメリカ人の男性。

チャールズ・ケンダル氏は、NYの北、マサチューセッツ州の山奥に、日本人の奥さんと暮らしながら、有機栽培の大豆を使って納豆を手作りしている。 週一回しかつくらないので、生産量も限定。だから当然注文が一杯になったところで、打ち切り。

注文は、毎週月曜日の朝7時〜午後2時の間に電話でしか受け付けてくれない。1回の注文で、36個の納豆をセットで買うことを義務付けられる。すると翌日の火曜日、宅配便で段ボールにぎっしり詰まった納豆が到着。だから注文する時に、翌日家にいて必ず納豆を受け取るように、と厳しく言いわたされる。

私はブルックリンに住んでいるのだけど、どうもブルックリンでの配達にトラブルが多いらしく、電話するたびに「ブルックリンはねえ・・・」と電話に出る奥さんにシブい声を出される。

支払いは箱の中にレシートが入ってくるので、小切手を送る。通信販売なのに、クレジットカードも受付ない。それくらい旧式なビジネス方法が未だに成立している事自体、奇蹟に近い。

先週注文した時には、「佐々木さん、もう随分注文頂いてないですよね。」と厳しく注意された。「いえ、あの、一人暮らしなので、なかなか減らなくて・・・それに最近出張も多くて」と言い訳すると「あら、私なんて毎日納豆食べてますよ!」とまた怒られる。そこで「私はかれこれもう20年近くも納豆を買わせて頂いてるんですけど・・・」とおそるおそる言ってみた。すると、お礼を言われるどころか「でもうちの記録には、最後の注文は5年前になってますよ!」いやあ、そんなこと言われても・・・それはそちらの帳簿上のミスでは・・・なんて言おうものなら「じゃあ納豆を売らない」と言われかねないので、黙っていた。

たかが納豆を買うだけなのに、こんなに多くの試練をくぐらなくてはならないのだ。一昔前の人気TVコメディ番組『サインフェルド』にでて来る「スープ・ナチ」じゃあるまいし。スープ・ナチは、アクセントが強い中東系の移民で、マンハッタンで評判のスープ専門店の親父。いつも店の前に行列ができている。ただ、列の並び方や、注文の仕方などに厳しいルールがあって、それに従わないと、”No soup for you!”(君のスープはなし!)と怒られて、スープを売ってくれない。スープ・ナチは、実在の人物をモデルにしていて、私も昔彼からスープを買ったことがある。そして、彼のスープは、本当においしかった。ケンダル夫妻は、スープ・ナチと良いとこ勝負の「納豆ナチ」というところだろうか。

初めて納豆ナチのことを知ったのは、私がまだNHKの「おはよう日本」でリポーターの仕事をしていた頃。毎週2〜3分でアメリカの話題を紹介していたのだけれど、寝てもさめても、番組の ネタ探しに頭を抱える毎日だった。隣の日本人女性から納豆ナチのことを聞いて、すぐに電話をかけ、取材を申し込んだのだけれど、「俺はサーカスやってんじゃない!」と怒鳴られ、あっけなく断られた。

以来、取材はあきあめたけれど、こっそり納豆だけは買い続けている。

だって、彼が作る納豆は、とにかく絶品なのだ。届いてすぐ箱を開けると、できたての納豆がまだほかほかと暖かい。かき混ぜると、強烈にネバネバと糸を引いて、おはしが絡み取られるほど。少しだけお醤油をかけて食べるとシンプルに大豆の味が口の中に広まって最高に旨い。この味に慣れると、スーパーで「有機納豆」とラベルがついた納豆も、クスリの味がしてマズくて食べられない。

ちなみに、今は生産が追付かないほどの人気になってしまったので、新規のお客さんには納豆を売ってくれないらしい。昔からのお客さんのリピート注文しか受け付けないそうだ。だから私たちは、 納豆を売ってもらえるだけでも有り難いと思って、納豆ナチのルールに、これからも従うしかない。

なので、連絡先をお知らせしても役に立たないかと思うけれど、興味ある方は、是非一度、納豆ナチの声を聞くだけでもどうぞ。 でも、彼らの逆鱗にふれると”No Natto for You!”と言われかねないので、私から番号を聞いたことは、内緒でお願いします。

Charles Kendall
電話:413-238-5928

楽しくてつらい映画の音楽づくり

今、新作『ハーブ&ドロシー50X50』のオリジナル音楽の曲作りを進めている。映画の音入れは、製作過程の中でも一番困難であり、なおかつ楽しい部分でもある。

前作『ハーブ&ドロシー』の音楽がいい、とお褒めを頂くことも多いのだが、これも一重に作曲家のデビッド•マズリンが頑張ってくれたおかげ。どうやって彼と出会ったのか、そのいきさつを話すと皆びっくりするのだけれど、今振り返ると、確かによくもまあ、こんな方法で彼に行き当たった、と思う。

というのも、彼を見つけたのは、Craig’s Listというネット掲示板。今や全世界に広まっているが、もともとNYからスタートした掲示板で、いらなくなった自転車やカメラの処分から、アパートや仕事、恋人探しまでする。とにかく、何かあれば、すぐにクレイグズ・リストに載せたり、ここで探しものをするのが当時のニューヨーカーの習慣だった。
その頃、映画作りのプロセスを全くわかってなかった私は、藁をもつかむ思いで、クレイグズ•リストに「NY近郊在住の作曲家求む」の求人広告を出した。すると、1週間もしないうちに、世界中から100人を越える作曲家から申し込みが殺到。ああ、世の中には何と多くの作曲家が存在し、仕事を探しているのだろう、とびっくり。その中から、NY周辺在住で私たちの編集室に足を運んでもらえる範囲の人に返答し、作品のサンプルCDを送ってもらう。(当時は、まだリンクを張ったりFTPサイトにアップロード、という技術は普及していなかった)

そのサンプルCDを全部聞いて、私たちの映画の感覚に近いと思う人を5人までしぼり、編集室に来てもらう。そこで会って映画の冒頭15分ほどを見せ、映画にどれくらい興味を持ってもらえるか。どんなポジティブな反応をするのか。編集のバーナディンと私との相性はどうか、などを見る。そして、5人にそれぞれ2分ほどのオープニングのシーンに曲をつけてもらった。以上のプロセスを経て最後に選ばれたのが、デイビッド。映画を見ていちいち笑ったり手をたたいたりして、反応がよかったし、私たちの意図を汲んで、一番オープニングにふさわしい曲を作ってくれたのも彼だった。何度も何度も辛抱強く曲を書き換えて、最後にはステキなハーブ&ドロシーの世界を音楽で築いてくれた。デビッドと巡り会えて本当にラッキーだったと思う。

当時は駆け出しだった彼も、今ではハリウッドのスタジオ製作の映画音楽を担当するまでになり、大出世。おかげで、エージェントまでついてしまって、彼にとっては喜ばしいことなのだけれど、今回は、エージェントを通じてまずは彼のギャラからハードに交渉しなくてはならないのは、少々キツかった。
今回は、いくつか新たに作曲する部分はあるものの、多くは『ハーブ&ドロシー』の曲をそのまま使ったり、ステムと言って曲をまるごとではなく、一部の楽器のメロディだけを使うようにしている。

今苦戦しているのは、オープニング・シーンの音楽。今まで「これだ」と思っていたシーンを止めて、いきなりハーブ&ドロシーの過去を振り返る映像と、新しく撮影したシーンをモンタージュにしてみた。ここで、ハーブ&ドロシーが誰なのか、これから何を伝えようとしているのかを映像と音楽ですぐに伝えるようにしたい。
何となくエキサイティングな物語が今から始まりますよ、という期待を持たせるメロディに加えて、二人の寄贈プロジェクトの壮大さを表現するような、威厳を持たせたい。冒頭は、小学生が美術館に入ってきて、展覧会の入り口でハーブ&ドロシーの写真の前で説明を受けるシーンなのだけれど、子供たちがかわいらしいので、どうも子供っぽい音楽になってしまう。いや、そうじゃなくて、映像はかわいくても、音楽は大人っぽくね、と何度デビッドに説明しても、どうも上手くいかない。今まで4回スコアを書き直してもらったけれど、まだこれ、という音になっていない。

あと、アーティストたちのユーモアたっぷりのコメントが続く部分には、ファニーな音楽をつけて欲しい、とお願いしたら、ユーモアがあまりに行き過ぎて、まるでサーカスの音楽みたいになってしまっている。これでは、ピエロが出て来て、これから綱渡りが始まるぞーという感じだ。

こういう作曲家とのコミュニケーションが、実に難しい。最初の頃は、「なんだかわからないけど、絵と音が合ってないからやりなおし!」しか言えなかった私。幸い編集のバーナディンが、とてもすばらしい音楽と映像センスを持っているので、彼女に手取り足取り作曲家とのコミュニケーションの方法を教えてもらった。なぜ音楽が合わないのか?何をどう改善するべきか?メロディはいいけど、楽器が合わないんじゃないか?クラリネットじゃなくて、ピアノにしてみては?ここのシーンでは、何を表現しようとしているのか? 音楽を考えることで、各シーン、そして映画全体をものすごく深く理解することになる。

ところで、前作の映画に応募してサンプルCDを送ってくれたのに最終選考まで残らなかった作曲家たちに「ごめんなさい。今回は残念ながら•••」というお断りのメッセージを送ったところ、何人かから「親切なメッセージをわざわざ送ってくれてありがとう。こんな事は初めてだ。普通、採用されなかったら何の音沙汰もないからびっくりした!」という返事が来た。こんな当たり前のメッセージを送っただけで感謝されるなんて。作曲家というのは、実に厳しい状況で仕事しているのだな(涙)。

圧倒的に心を動かされるドキュメンタリー SEARCHING FOR SUGAR MAN

最近、何人かの人にSEARCHING FOR SUGAR MAN(以下「シュガーマン」)見た?」と立て続けに聞かれて、気になっていた。この週末、映画を見てから、私も、会う人会う人に『シュガ―マン』見た?と言わずにはいられない。みる前も、みている最中も、みた後も、じーんと心が熱くなる。今年見た映画の中でも最高の1本だった。

『シュガーマン』 は、1970年代初めに、2枚だけアルバムを出して、姿を消してしまったロドリゲスというシンガー・ソング・ライターの行方を追う話。当時、彼のアルバムを制作したプロデユーサーや、レコード会社の人は、皆口を揃えて言う。今までに、手がけた中で、最も印象に残っているアルバムだと。そして、ロドリゲスは、最高のミュージシャン、ひょっとすると、ボブ・ディランよりすぐれていた、と。でも、なぜかアルバムは全く売れずに、レコード会社は2枚目のアルバム発売直後に契約を打ち切り、ロドリゲスは、音楽界からあっけなく姿を消す。その後、ステージでガソリンをかけて焼身自殺したとか、ピストルで頭をぶち抜いて死んだとか、色んなウワサが流れるが、信実は闇の中。

ところが、ロドリゲスは、人知れず地球の裏側の南アフリカで圧倒的な人気を得ていた。あるアメリカ人がこっそりアルバムを持ち込んだのがきっかけで、レコードからテープにダビングされてどんどん広まって行ったらしい。当時アパルトヘイト真っ盛りの南アで、労働者の悲痛を歌ったロドリゲスの音楽(ボブ・ディランの音楽に政治色を強くした感じ)を若者たちが聞いて、反体制の声を上げていたのだった。このアルバムは南ア政府の検閲にひっかかるが、アルバムは、50万枚もの売上げで空前の大ヒット。その人気は、ビートルズや、エルビス・プレスリーをしのぐほどだったと言うから、スゴい。

ロドリゲスはその後一体どうしているのだろう?本当に死んでしまったのだろうか?疑問に思ったある南アの音楽ジャーナリストが、彼の歌詞から世界各地の街の名前を拾って、ヒントを探り、ネットを使い、ミルクの箱に人探しの広告を載せたりして、ついに彼を探し当てる。

 続いてネタばれになってしまうのを承知で書いてしまいますが、結局彼は、デトロイト郊外のディアボーンという街に住んで、ずうっと肉体労働をしながら、ひっそりと暮らしていた。暖房もなくて、新聞紙をストーブに入れて暖を取るほどの貧しさ。どうも、南アでの50万枚ものレコードの売上げのロイヤルティも、彼には一切支払われてない様子。というか、彼がそれほど南アで人気があるなんて事も、本人の耳に一切入ってなかった。

音楽界から姿を消した後、お金も名声も求めることなく、自分と同じ、貧しい労働者階級の人の声になろうと、デトロイトの市議会議員に立候補したりもするが、あえなく落選。でも、文句一つ言わず、誰もやりたがらないような、汚くてキツい仕事を率先してやり、ギターを弾き、歌を歌い続ける。彼の孤高な姿は、都会の片隅に棲む清貧な詩人であり、そして聖人のようでもある。

クライマックスは、彼を探し当てたジャーナリストと、地元の熱狂的なファンであるレコード屋の親父さんで計画して、ロドリゲスを南アフリカへ呼びよせることになり・・・

スエーデン人の監督のマリック・ベンジャルールは、スエーデンTVに放送するための、7分程度のショート・ストーリーを南アで探していて、ロドリゲスのことを知ったという。それが、あまりにスゴい話なので、のめり込んでしまって、4年間映画製作にかかりっきり。最後は、資金もなくなって行き詰まったが(ん?どっかで聞いたことある話?!)最後は、あるプロデユーサーとの出会いで資金も集まり、完成にこぎ着けたとのこと。編集、イラスト、作曲も手がけているというすばらしい才能。何と、映画の中のいくつかのシーンは、iPhoneにスーパー8のアプリをダウンロードして撮ったという。

『シュガーマン』は、今年サンダンス映画祭のオープニング映画に選ばれ、審査員特別賞を受賞。アカデミー賞の有力候補とも言われている。そして何より嬉しいのは、この映画のおかげで、ロドリゲスの才能が認められたこと。彼のサイトを見ると、全米ツアーのスケジュールでびっしり。来月からはヨーロッパへも遠征する予定。(彼の熱狂的なファンになった友人がチェックしたとことろ、彼のコンサートは、ほとんどソールド・アウトらしい!)彼のアルバムもチャート急上昇中だ。プロモーターもレコード会社も、今度は彼にちゃんとロイヤルティを払って下さいね!!と声を大にして訴えたい。

ロドリゲスという才能を再発見して、見事に彼の物語を伝えてくれたベンジャルール監督に拍手喝采!

何を食べるか、ではなくて何を食べないか

NYに住んでいて嬉しいのは、ファーマーズ・マーケットで、季節の新鮮な野菜や果物を買えるること。マーケットには、手作りのジャムやピクルス、チーズ、そして漁師さんが持ってくるお魚や、できたてのパンまである。

私はものすごい食いしん坊で、NYでおいしいレストランがあると聞けば、いつも真っ先に飛んで行ったし、料理が好きなので、よく人を呼んでディナー・パーティをした。朝起きて、「今日は何食べようかなー」と考えるのが至福のひとときだった。

でも、この5年くらいかな、食べることに前ほどの情熱を感じなくなってしまった。こった料理ではなくて、新鮮な食材に、さっと手を加えて食べるのが、一番おいしいと思うようになった。それは年のせい、と言うのもあるけれど、アメリカに長年住んでいると、食は「栄養」ではなくて「毒」になることが多くて、自然と「何を食べようか」じゃなくて「何を食べないか」を考えるクセがついてしまったからかも知れない。

今年の初め、医者のアドバイスの元で、28日間、究極のデトックスダイエットにトライした。この間、禁止されてた食材は、赤身の肉(鶏肉やターキーはOK), 乳製品、グルテンが入ったもの(小麦粉でできたもの、パン、麺類、は全てNG)、大豆、砂糖、アルコール、カフェイン(紅茶も緑茶もNG)。食べられるのは、野菜と果物、魚、お米だけ。

いや、実につらかったです。何よりもキツいのは、大豆製品が食べられなかったこと。豆腐、ミソ、醤油もダメ、というのは日本人には厳しい。この間、人と食事に行っても、何も食べられなかった。サラダを注文しても、ドレッシングに砂糖や乳製品が入ってるとNG。 イースト・ビレッジにある人気のレストラン、Dirt Candy (http://www.dirtcandynyc.com/)の食事は、完璧なベジタリアンなので、大丈夫かと思ったら、結局ここでも私が食べられるものは何一つなくて、シェフが特別な料理を作ってくれた。

でも、1週間を過ぎたころからか、ぐっすり眠れるようになり、身体がすごく軽くなって、スタッフからも「メグミさん、お肌が‘つやつや!」とか言われて励まされ、28日間の苦行を終えた。最後の方は、このまま行けば200歳まで生きられるんじゃないか、という位体調が良くなった。普段、よっぽど悪いものを口に入れてるんだな、とわかって驚いた。

このデトックスの目的は、自分に合わない食材を探すことでもある。28日のデトックス期間終了後、一品目ずつ食事に加えて行き、食べた後に脈を計ったり、お腹の調子や、気分をモニータする。それでわかったのが、私には「グルテン」が身体に合わない、ということ。

普段食べて何ともなかったので気がつかなかったのだけれど、デトックス後に、パスタを食べたら、お腹が膨張して転げ回るほどの激痛が走った。アレルギーではないけれど、実はグルテンは私の身体に合わないらしい。それ以来、なるべくパンや麺類は避けるようにしている。日本ではあまり聞かないけれど、アメリカには、「グルテン・アレルギー」の人がものすごく多くて、最近はスーパーで「グルテン・フリー」のパンやパスタが売っているほど。 小麦粉、乳製品、砂糖を使わないデザートの専門店Baby Cakesなんてのもある。 デトックス中は、ここのスイーツに随分救われた。

食という生きるために一番ベーシックな行為をコントロールできた時、身体だけでなく心も変わって行った。一番の大きな発見は、好きな物を好きなだけ食べたり飲んだりするのは、自由な行為に見えて、実は食欲の奴隷になってる、ということ。自分は甘い物や、麺類、お酒、コーヒー等の大好物が、なくては生きられないと信じている。その縛りから解放されて、何だって、なくてもやって行けるものだ、とわかった時、自分はすごく自由になれたと思った 。それは、美味しいものを食べた後の刹那的な幸福感より、ずっと満たされたものだった。

と、えらそうに言ってますけど、勿論今でも美味しいものは食べたいと思う。 最後、ハーブが亡くなる前、1ヶ月以上、食欲が全くなくなって何も食べられないのを見て、好きなものを食べられるうちは、本当に幸せだなあと思った。まあ、身体の声を聞いて、ほどほどの量を、バランス良く食べているのが一番ですね。

NYという街の魅力&魔力

「NYは、一言で言うとどんな街ですか?」と先日ある人に聞かれた。何も考えず口をついて出て来た回答が「世界最高の街です。」

NYに済んで25年。思えばNYと私は、まさにLOVE & HATE「愛憎関係」の繰り返しだった。それでも、私が今でもここを離れられない、NYという街の魅力は何だろう?

NYは、世界中のモノ、ヒト、食、文化、宗教•••すべてがぎゅうっと凝縮された小宇宙。最高のものから最低のものまで、全てそろっているしどんな人でもフィットできる場所がある。そして、その間をわりと簡単に行ったり来たりすることもできる。ここで生活していると、誰もが、自分らしく生きるように、と励まされる。

ちょっと油断すると盗まれ、騙され、裏切られる。人々の憎しみがあからさまにぶつかりあう。先日、ラッシュ・アワーの電車の中で、黒人の太ったおばさん同士が、「あんた、私のケツにいま触った?!」「触るわけないだろ、このブス!」と大声で叫びながらののしり合いの喧嘩をしているのを見て、ああ、こういう光景って世界中探してもNYだけだろうなあ、と悲しいやらおかしいやら。毎日が緊張の連続。でもそんな戦場のようなところに、エアポケットのようなやさしさがあって、ほっとする。バスに乗っていて誰かが後ろの出口から降りようとしてる時にバスが発進すると、「OPEN THE DOOR!」(扉をあけてやれよ!)の大合唱が乗客から起きる。出張から帰って大きなスーツケースをタクシーから下ろして途方にくれていると、通りすがりの黒人のお兄さんが「NEED HELP?」(手伝おうか?)と言ってスーツケースをアパ―トの階段の上まで運んでくれる。道を歩いていると、しょっちゅう知らない人に声をかけられる。「そのハンドバッグ、どこで買ったの?」「そのスカーフ素敵ね」「そのマニキュアの色珍しいわね」などなど。ある日、考え事をして歩いていたら、よっぽどむっつりしていたのか通りすがりの男の人に「SMILE!!」と言われて、大笑いしてしまった。

男同士/女同士が手をつないで歩いても、80歳過ぎたおばあさんが胸の大きく開いたショッキングピンクのひらひらのドレスを着ても、あるいはそういうドレスを男が着ていても、雨も降ってないのに真っ黒い巨大雨傘をさして歩いても、まあ、それもありだよね、ってことでとやかく言う人はいない。よくNYに観光で来ている外国人から「道を聞かれてびっくりした!でも、何だか嬉しかった」という声を聞く。到着したその日から、誰でもニューヨーカーになれる。NYには、そんな懐の深さがある。世界中の人種がこのまちで、思い思いの夢や恨みを抱き、毎日生きのびるために、なりふり構わず必死だ。そんなエネルギーが刺激的でたまらない。

最初にNYに着いた頃、よく初対面の人に「What do you do?」(あなたは、一体何をする人なの?)と聞かれたのには戸惑った。その頃、私はインドの長旅から日本への帰国途中で、友だちの家に居候して適当にNYに暮らしながら、生活費を稼げる程度の仕事をしよう、くらいにしか思っていなかったから。でも、NYに住んでWhat Do You Do?の質問が繰り返されるうちに、いやでも「自分は誰?」「これから私は何をするの?」「私の人生はこれからどうなるの?」と問い続けられた。

振り返ると、私はその問いにいつも追いかけられて、つねにゴールを定め、やりたいことを探し、やるべきことをチェックし、前に進んで来た気がする。もしNYに住んでなかったら、私は、決して映画を撮ろうなんて、思わなかっただろう。

私がハーブ&ドロシーに出会い、映画を撮る気になり、そして完成できたのも、NYという口うるさいステージママがいてくれたからだと思う。意地悪く、時に残酷、でもおせっかいで、正直で実は心根はやさしいおっかさんのようなNYという街が、頑張れ頑張れと背中を押し続けてくれた。

今日、快晴の空の下に輝いてるNYをブルックリン側から見て考えた。私がいつかNYを出て行く日は、来るのだろうか?80歳になった時、このまちのエネルギーに耐えていけるんだろうか。もし日本に帰って、TVのニュースか何かで、今見ているNYの景色が映し出されたら、どんな気持ちになるだろう? 「おばあちゃんはねえ、昔あの魔法にかかったようなまちに住んでたんだよ」なんて、子供たちに言って聞かせてる自分の姿。

ほろりと涙がこぼれそうになったけど、思い直して地下鉄に乗ってマンハッタンへ向かった。ま、もうしばらくは、この厳しいおっかさんの懐でガマンして、修行を続けるとしよう。

コスタビはコン・アーティストか?

一昨日、アーティストのマーク・コスタビをインタビューした。

私がNYに来たばかりの1980年代終わり、コスタビは時代の寵児とばかりに、アンディー・ウオーホールと写真にツーショットで収まったりして、メディアを賑わしていた。私も、当時雑誌の取材の仕事をしていた頃、一度だけ彼をインタビューした事がある。(どんなインタビューだったかは、全然覚えていないけれど)日本でも、かなり知名度があり、人気もあったと記憶している。

あれから25年後の今、彼の名前がメディアに出る事はほとんどない。それどころか、彼の評判はがた落ち。何年か前に、Con Artist- Rise and Fall of Mark Kostabi (ペテン師アーティスト マーク・コスタビの成功と凋落)なんていうドキュメンタリー映画が作られたほど。(プロデユーサーは、知合いのペリー・グラヴィンだったこともあって、よく覚えている)

彼の評価が落ちたきっかけは、アシスタントを大勢やとってアートを「大量生産」し、アートをビジネスにして儲けるぞ!みたいなことを公言したからだ。100ドル札で身体中をカバーした写真が雑誌に載ったりして(本物の100ドル札を700枚使ったとか)、随分アート界の神経を逆撫ですることになった。とにかく、有名になるためには、なりふり構わない、みたいな姿勢が下品に思われたのか、そのうち彼の名前は、全く聞かなくなった。

その経緯はある程度知ってたので、50X50の取材をして、ハーブ&ドロシーのコレクションのリストにコスタビの名前を発見した時には、本当に驚いた。ええ、あのハーブ&ドロシーのコレクションに悪評高きコスタビの作品が?しかも76点も?!でも、良く見ると全ての作品は80年代半ばに描かれたドローイングで、コスタビ曰く二人が買ったのは全て「アシスタントを雇う前に、彼が自分で描いた」作品とのこと。ドロシーに聞いたら「アシスタントを雇って創作するのは、ミケランジェロだって、ジェフ・クーンズだってやってるわよ。全然気にならない」とのこと。彼の作品は、楽しくて、ユーモアに溢れてるところを、ドロシーはとても気に入っている。

昨日訪れたコスタビのチェルシーのスタジオでは、今も大勢のアシスタントが、せっせと絵を書き、絵を大量生産していた。一時は、日本からの需要が多かったけれど、バブル崩壊後はぱたりと注文が途絶え、今はもっぱらイタリアからの注文が多いという。(コスタビは、1年の半分をローマで過ごしている)

50歳を過ぎた彼は、少々中年太り気味で、派手なストライプのシャツや、プラチナや、赤や緑に染めていた80年代の頃の華やかさはない。何を聞いても、率直に答えてくれるし、自分を良く見せようとか、そんな素振りも一切ない。今、個人も企業も、自分達のイメージを傷つけないようにとやっきに取材コントロールしているのに、彼の正直で開けっぴろげな態度には、とても好感が持てた。映画「コン・アーティスト」についても、彼は「そういう見方もあるということで」と言って気にしている風でもなく、今も堂々とFAME IS LOVE、「名声は愛」と断言している。

私自信も、彼に会う前は、世間と同じ色眼鏡で見ていた。ハーブ&ドロシーは、どんなアーティストでも、決して批判、非難しない。世間の評判とは関係なく、「アーティスト」という人種を愛し、尊敬し、純粋に作品だけを見つめてコレクションした。コスタビを取材してみて、誰にも惑わされず自分でアーティストやアート作品を評価することの難しさを思う。それには、ハーブ&ドロシーのように、相当の自信と信念ががなければできないと改めて実感した。