アートと何かが交差する時

この1週間は、 intersection – 交差点 という言葉がすごく気になった。

アメリカ人はこの言葉が大好きで、二つの一見相容れないものが交わって、意外な結果が出る時の表現によく使う。今週私が行き当たったのは、いくつかのアートとの交差点だった。

まずは中国人のアーティスト、アイ・ウェイウェイ(艾未未)のドキュメンタリー映画『Ai Weiwei : Never Sorry』。知合いの監督、アリソン・クレイマンが撮った映画で、サンダンス映画祭でも大きな話題になった。アイ・ウェイウェイは、中国政府を相手に反体制的なメッセージを発信する挑発的なア―ティスト。映画を見ていて、最初は命がけで創作活動をしているアーティストとしての姿に感動する。でも、そのうち何かおかしい?と思い始める。

たとえば、数年前の逮捕時に暴力を振るったと言って、私服警官にせまり、サングラスを奪い取り、戸惑う警官の写真を撮ってtwitterに載せるという行為。暴力を振るった警官がいいとは言わないけれど、警官だって体制の一つのコマとして言われたことをやったわけで、彼個人を攻撃するのはフェアじゃないのでは?彼の挑発は一線を越えてないだろうか?アーティストというよりアクティビストじゃないか?彼の立ち位置は、まさにアートと政治の「交差点」だ。

次に行き当たったのが、エル・ブリというスペインのレストラン。グルメの方はご存知かと思うが、私はドキュメンタリー映画を見て初めて知った。バルセロナから車で1時間半程の郊外にあるエル・ブリは、世界で最も予約の取れないレストランとして有名。年に殺到する予約希望者は100万人。そのうち食事ができるのは8,000人というから、すさまじい競争率だ。

ここの食事の何がスゴいかというと、「食」という体験や既成概念を真っ向からぶちこわす驚愕の料理が40皿近くでてくること。それは、美味しいという感覚を越えて、とにかく「驚き」だという。

というのも、シェフのフェラン・アドリアがメニューを考えるにあたって考えるのは、普段当たり前と思っている食の概念は正しいのか
ーたとえば「スープは液状じゃなければダメなのか?」「デザートは、甘くなくてもいいのではないか?」ーといった問いなのだ。

レストランは半年だけオープンして、残りの半年で翌年のメニューを研究するという。仕事場は、キッチンというより実験室。まさに食と科学が交差する地点。そして創りだされた料理の見た目の美しさは、間違いなく「アート」だ。

残念ながら、レストランは去年7月でクローズしてしまった。エル・ブリは 、今後レストランではなく、財団として食の研究を続ける場になるらしい。

いま、遅ればせながら読んでいるのが、スティーブ・ジョブズの伝記。これまでもジョブズやアップル関連の記事を読むたびに目についた言葉であり、そして本の中でも書かれているのが、「テクノロジーとアートの交差点」。ジョブズのビジョンを的確に表している。

NYを拠点に世界的に活躍されていたアートディレクター&デザイナーで、今年1月に逝去された石岡瑛子さんの旦那様のニコさんと先日お会いした。石岡さんが、生前『ハーブ&ドロシー』を気に入って何度も繰り返し見てくださったという。アートを難しい言葉で語らず、目で見たままを受け入れている二人の姿に感動した、と。そして、すべての場面を細かく見て分析されていたらしい。美を徹底的に追求した石岡さんの目に『ハーブ&ドロシー』がどう映ったのか。石岡さんご本人とお話する機会を持てなかったことは残念でならない。

しかし、世界トップレベルの映画の現場で仕事をされてきた石岡さんに『ハーブ&ドロシー』を評価して頂いたとは、身に余る光栄である。
ニコさんが、最後にぽつんとおっしゃった。「エイコは、東と西、そしてデザインとアートの交差点をいつも追求していた」

「アートと異質の何かが交差すると、すさまじい化学反応が起きる」この一週間の発見だった。

新作『ハーブ&ドロシー 50×50』では、アートと何が交差するのだろう?ピクチャーロックまでに、「交差点」をどれだけ多く見つけられるのだろう?いまの時点で、ストーリーのほぼ4分の3が固まったという感触。まだまだ試行錯誤が続いている。

ハーブの死から10日

7月22日にハーブが89歳の生涯を閉じてから、ほぼ10日になる。

今日も二人のアパートを訪ねてみたが、ハーブがもうここに存在しないという実感が湧かない。ハーブがベッドルームからひょろひょろと出てくるのではないか、という気がしてならない。たぶん多くの人の死がそうであるように、「ハーブの死」は突然やってきて、そして去って行った。

6月半ば、私が日本に到着してから間もなく、ハーブが入院し、その後看護施設に移されたとドロシーからの一報が入った。
体力が落ちて、自分で立ちあがれない程衰弱している、早くNYに帰って来てほしい、と。

6月30日夕方、NYに着いて、家にスーツケースを置いてから、すぐにハーブの入院先へ向かう。この時は、まだハーブはベッドに起き上がって、会話もできる状態だった。1ヶ月近く食べ物をほとんど口にしていなかったけれど、まだ点滴で命をつないでいた。

日に日に弱って行くハーブの姿を見て、周囲の緊張感は高まっていく。特にドロシーは、50年間共に暮らしたハーブを亡くすことへの不安、恐怖、悲しみに日々苦しみ、なす術がないことに苛だちながら、朝から夕方7時まで、一日も欠かすことなくハーブの側に付き添っていた。

人は「わからない未来」に直面すると、不安と恐怖に襲われる。そして、不安と恐怖が募ると、それは怒りに変わる。ドロシーとハーブの家族の間に立って、家族のようだけれど、本当の家族ではない私。ドロシーや家族から飛んでくる、不安や恐怖を私はどう受け止めればいいのか。今回一番難しかったのがこの部分だった。私が家族だったら、無理してでもハーブを退院させたと思う。そして、大好きなホットドッグも、最後に食べさせたと思う。でも、家族ではない私には、できなかった。

しかし、ハーブの死が確実に間近にせまっているのが、誰の目にも明らかになった時、ドロシーの不安と恐怖はすーっと消えたようだった。彼が亡くなったら、誰に連絡を取り、どのように行動を起こすべきか、ドロシーは静かに現実と直面して準備を整え始めた。ナショナル・ギャラリーから発信するプレスリリースにも目を通し、記述に間違いがないかを確認する余裕も出ていた。ナショナル・ギャラリーのような大美術館が、一コレクタ―の死のプレス・リリースを出すのはかなり異例だと後で聞いた。

「その時」が来て、ドロシーは真っ先に私に電話をしてくれた。「Herb just died – ハーブが死んだわ」という一言だけで、電話は切れた。私が駆けつけた時にも、ドロシーはハーブの亡骸の側で、あちこちに電話連絡をしていた。

ハーブの死後、1時間もしないうちにナショナル・ギャラリーからプレスリリースが発表され、3時間後には、ネット上で記事が出始め、24時間以内にニュースは世界を駆け巡った。この時点で、すでに150のメディアに取り上げられていたという。まさに、ネット時代のニュースの伝わる早さを実感した。翌日、ワシントン・ポストの一面に記事が出たほか、NYタイムスやボストングローブでも大きく取り上げられ、3大ネットワークのCBSは、全国ニュースで2度もハーブ死去の短い特集を放送した。

葬儀には、突然の連絡だったにもかかわらず、100人を越える友人やアーティストが集まった。葬儀の様子は長くなるので、ここでは省略して、また別の機会に詳しく書きたいと思う。

「ハーブと共に始まった私たちのコレクションは、ハーブと共に終了しました。」ドロシーの宣言がお葬式で伝えられた。「アーティストからの作品も、今後は一切受け取れないので、ご理解下さい。」一つの時代に幕が降りたことを象徴する言葉だった。

私は、編集室に戻り、エディターのバーナディンと共に頭を抱える毎日が続いている。映画の中で、ハーブの死をどう伝えるのか。エンディングはどうするのか……。秋の世界プレミアに間に合うのか……。

ハーブの映像を見て涙している間もないのは、せめてもの救いだけれど。