映画では使えなかったジョン・チェンバレンのインタビュー

この週末、グッゲンハイム美術館にジョン・チェンバレン展を見に行った。

チェンバレンと言えば、最初にハーブ&ドロシーのコレクション入りした作家。映画の中で、初めの方に出てくるナショナル・ギャラリーでのシーンは、きっと覚えて下さる方も多いと思う。ハーブが、獲物を狙う動物のような目でじーっと見て、「買ったときは、この置き方じゃなかった」という、あの場面。

チェンバレンは、1950年代終わりに出てきた抽象表現主義の作家。絵の具の代わりに、廃車のパーツを使い、キャンバスではなく、立体的な彫刻で知られる。アメリカの消費文化の象徴とも言える車を素材にして、ダイナミックでカラフルな色使いの彫刻は一斉を風靡した。

今だから言えるけれど、実は私は「ハーブ&ドロシー」の映画のために、チェンバレンをインタビューしたことがある。二人が、結婚後初めて購入した作品を買った時の様子やいきさつを是非知りたいと思ったからだ。NYから車とフェリーを乗り継いで4時間かけて、シェルター・アイランドという小さな島に、2005年の12月にカメラマンのアクセルと二人で訪れた。

そこで待っていたのは、彼の半分くらいの年のお美しい奥様(4人目)と、同じくお美しい高校生の娘さん2人。体育館くらいあるような巨大なスタジオにあふれ返る色とりどりの車のパーツと、その合間にそびえる彼の新作は圧巻だった。

とても愛想のいい奥様と娘さんとは対照的に、のっけからチェンバレンは不機嫌だった。何を聞いても「知らん」「覚えてない」の繰り返し。明らかに人を見下す態度。そして最後に「ああ、あのチビのことか?」スタジオの後ろの方で、母と娘たちは、小動物のように身を寄せて怯えながらその様子を見ていた。

インタビューは15分で終わった。

ところが、カメラを片付けたとたんに彼は上機嫌になって「今実験的につくってる新作を見せるよ」と自宅兼オフィスに案内してくれる。写真をコピー機でキャンパス地に印刷したイメージを見せてくれた。私はインタビューが上手く行かなかったことで、ぶりぶり怒っていたので、そっぽを向いていた。今思うと、何て大人気ない。

すると、チェンバレンがその作品にサインして「メリークリスマス!」と言ってアクセルと私に一点ずつプレゼントしてくれるではないか。(そうだ、今思い出したけれど、あの作品はどこへ行ってしまったんだろう?!)

何とかチェンバレンのインタビューを使えないかと編集のバーナディンと頭をひねったけれど、ダメだった。というのも、彼の悪辣さは、映画のトーンにあまりに合わない。このインタビューを使うとチェンバレンも、ハーブ&ドロシーの事も良く見えないし、何ていうか、映画が濁ってしまう。

彼の口の悪さは、世間で有名だったらしい。ということを、展覧会のオーディオガイドで知った。中西部生まれで幼い時に両親が離婚し、中卒、若い頃に奥さんを病気で亡くしていた。彼のはったりの陰には、とても傷ついた心があったのかも知れない。本当はビッグハートの持ち主である事を隠すための、彼独特のはにかみだったのか、とも思う。

グッゲンハイムで見た作品の数々は、そんな彼の複雑な人間性が垣間見えるものだった。乱暴なようで、エレガント。雑なようで繊細。男っぽいけれど女性的。そして、廃車になった車のバンパーとは思えてないような見事な色使い。ハーブ&ドロシーのコレクションにあるような小さな作品も何点かあった 。ハーブが言ったように、どれも「小品ながら大きなスケールを感じさせる」ものだった

アートのことを全く知らず、彼の作品のこともわからないままインタビューしていた私。チェンバレンは、そんな私の無知を見抜いていたんだと思う。失礼なのは、私の方だった。

チェンバレンは、去年の12月、このグッゲンハイムでの回顧展のオープンを待たずに 、84歳で亡くなった。彼には「ハーブ&ドロシー」が完成した時の案内さえ送らなかった。彼は、映画を見てくれたのだろうか。それを確かめることも、お詫びを言うチャンスもなかったのが、悔やまれてならない。

いつも頭を抱えるカメラマン探し

ラスべガスとモンタナ州ビリングスでのロケを終えて昨日NYに戻ったところです。ラスベガスでは、ハーブ&ドロシーのコレクションを寄贈直後に閉鎖になってしまったラスベガス美術館と、コレクションの引取り先のネバダ大学、モンタナ州では、先日メールマガジンでも紹介した「VISIBLE VOLT」を持つイエローストーン美術館を取材しました。

地方で撮影する際に、いつも迷うのがカメラクルーです。NYで一緒に仕事をしているクルーを連れていくには費用がかかる。でもそれなりにレベルの高いカメラマンを、安い予算で探せるのか。そして新しいカメラマンと仕事する際には、一からプロジェクトの説明をしなくてはなりません。いつも迷いますが、結局今回も、私一人が現地へ行って地元のクルーを雇って撮影しました。 

現地クルーと仕事をする利点は、旅費を節約できるだけではなくて、彼らが土地勘を持っていることです。例えば、ラスベガスの町の紹介カットを撮影するには、どこからどう撮ればいいのか、などよくわかっているので、とても助かるわけです。NYのクルーと現地へ行くと、レンタカーをして、地図を見たりGPSを頼りながら知らない土地を移動することになるので、こういう撮影や移動に余分な時間とエネルギーがかかってしまいます。

では、どうすれば優秀な現地のカメラマンを探せるのか?これは、私がNHKで仕事をしていた頃から悩みのタネで、今でもかなり苦労します。私がいつも使う方法は、まず地元のテレビ局のニュースルームに連絡して上手なカメラマンを紹介してもらうこと。これが一番確実です。また、よく使うのは、MANDY.COMのようなサイトで、全世界で登録しているありとあらゆる映画やTVの製作クルーを、地域とキーワードで検索できるようになっています。

TV局の推薦&サイト検索&で上がった名前に片っ端から電話をして、まず日程が空いているかどうか、私たちが使っている機材があるかを聞き、そして今回どのような撮影をしたいかを伝えます。

次に値段の交渉。ここが一番の難関。というのも私たちが提示する値段は、業界の料金の半分以下だからです。ここで、半分以上のクルーが即NGになります。「いい映画だから協力したいけど、それは絶対無理」とやんわり断られる場合もあるし、「お話になりません」と一笑に付される場合もある。そこで黙って引き下がらずに、ではあなたがダメなら、他にいいカメラマンを紹介して欲しい、とお願いします。

普段どんなにギャラが高いカメラマンでも、 映画に共感してくれると、ギャラに関係なくOKしてもらえるので、そういう人を粘り強く探します。そして最後5〜6人まで絞る。さらに彼らが今までどんな仕事をしてきたのか、今までどんなドキュメンタリーやTV番組の仕事をしてきたか、を詳しく聞きます。これまで仕事をしてきた顧客リストにABCやCNN、ディスカバリーチャンネルの名前が連ねてあっても、安心できません。仕事内容はカメラアシスタントだったりPAだったりすることも多々あるからです。

アメリカでは、ものすごい数のカメラマンが存在して、皆それなりに食べて行けるということは、それ相当の仕事があるわけです。そして、多くのカメラマンは、企業の宣伝ビデオの仕事で生計を立てています。こうした企業ビデオを主に撮影しているカメラマンは、使う筋肉が違うので、ドキュメンタリーの撮影に慣れてる人でなければ厳しいわけです。彼らが撮影したフッテージをYouTubeなどで見せてもらいますが、それでも油断できません。実はそのフッテージは全て本人が撮影したわけではなく、何人ものカメラマンで撮影した場合があるからです。

今回は、NYのスタッフのキキさんがこの執拗なリサーチのプロセスを経て7人まで絞ってくれて(途中で「メグミさん、死にそうです!」という悲鳴)、最後は私が電話で話して決めました。電話で話すと、人柄や私との相性、このプロジェクトにどれくらい興味を持ってくれているか、など色々なことがわかります。

現地で撮影を始める時の最初は、大抵ワイドショットや、建物の外観。そこで三脚を立てた時に、大体カメラマンの力量がわかります。現場を見て、三脚をどのアングルからどう立てるのかで、カメラマンのセンスがでているからです。今回仕事をしたラスヴェガス、モンタナでのクルーは、両方ともすばらしかった。ラスヴェガスで仕事をしたジャスティンは、地元のネヴァダ大学の映画学科を卒業して、カメラマンになり立てですが、フットワークも軽く、若いけれど、なかなかセンスがいいカメラワークでした。モンタナのリックは、かなりのベテランで、何も言わなくても次から次へと自分で判断して撮影してくれました。モンタナにはイエローストーン国立公園があるので、ネイチャー系の撮影が多くあります。彼は、ナショナル・ジオグラフィックお抱えのプロダクションで働いて鍛えられたそうです。

どんなに下手くそなカメラマンでも、結局合格点の映像が撮れるかどうかは、結局監督の力量。だから、あまりカメラマンの悪口は言えません。「カメラマンがマズかったから、こんな映像しか撮れなかった」とグチを言っても誰も慰めてくれませんから。

今回のメルマガは、初めての経験で神経衰弱にかかりながらも頑張ってすばらしいクルーを探してくれたキキさんに捧げます。
キキさん、本当にお疲れさまでした!