中国茶に眠ってる感覚を呼び覚まされた

先日、友人の紹介で香港出身のグラフィック・デザイナー、ティムに会った。彼は、子供の頃からお茶の魅力にとりつかれ、ソーホーの仕事場の一角に秘密のティー・サロンを設けて、中国茶を振る舞っている。つまり、予約制で外には宣伝していない、とてもプライベートなサロン。

私には、全くお茶の素養はないのだけれど、2時間に及ぶ濃厚な体験で、 日本に茶を伝えた中国には、全く違う茶の文化があることに驚いた。

日本のお茶は、招待した主人と客との間のおもてなしの作法と、道具や器などに芸術性を追求している。中国のお茶は、お茶を飲む人とお茶の純粋な関係、つまり茶の味と香りの楽しみを極めたもの。

ティムは、まずお茶の葉にお湯を通したものをカップに入れて蓋をし、「どうぞ」と私の前に置いた。蓋をあけて、どうぞ鼻を突っ込んでみて下さい、とティム。これから飲むお茶の葉の香りをまず楽しむという事らしい。そして、直径4cmほどのおちょこサイズの白いシンプルなティーカップにお茶を注ぐ。

「これを3口で飲んで下さい。中国のお茶は、飲むときに、ズルズルと音を立ててもいいんですよ。」そしてお茶を、じゅるじゅる言わせながら口の中で泳がせる。お茶の味が口一杯に広がる。意識を集中して、そのアロマを楽しむ。二口目は、お茶の苦みが消えて、少し甘くなっている。3口目を飲み終わる頃には、鼻孔、眼の裏側を通って脳みそまでお茶の香りが広がったような気がするほど、お茶の香りが頭蓋骨一杯に充満する。

では、次にとっておきのお茶を、と言って小さな急須を出してきた。「でも、その前に」と言って、今までお茶を飲んでいたカップにお湯を入れる。つまり口の中をすすいでリセットする、ということなのだけれど、そのぬるいただのお湯が、また何とも言えない甘い味。口のなかにまだほんのりと残っているお茶の香りが、お湯の味をここまで変えてしまうとは、まさにマジック。

私たちは、忙しい毎日の生活で、どれだけ自分の感覚 と乖離していることだろう。たった一杯のお茶が私たちの五感に命を吹き込み、呼び覚ましてくれる。人間の感覚とは、何て繊細で複雑なのかと思う。

急須にお茶を入れ、その上からじゃぶじゃぶとお湯をかけて暖め、またはお湯を別の容器に入れて温度を下げ、といった作業を何度か繰り返してカップに注ぐ。今度のお茶の一口目は少々苦い。でも二口目は、その苦みが和らいでいる。そして3口目は、苦みがすっかり消えて、ほんのりフローラルな味に変わっている。「ノドを通り過ぎる時の味にも注目して下さい」お茶がノドを通りすぎるとき、一瞬チョコレートのような味がした。

「お茶とは、まさに人生なんだよ」とティム。若い頃、人生とは実に苦いものだと思うよね。だけど、苦い経験を繰り返して行くうちに、つらいと思ったことも、苦に感じなくなる。そして、気がついたら人生には花の香りが漂ってることに気づくんだ。つまり、どんなにつらいと思っても、生きて経験を積むうちに、苦さが人生の味わいになってくるということ。今は苦いと思っても、通り過ぎれば、向こう側には限りなく芳醇な人生が待っているものさ。」

そんな話をしながら2杯目のお茶を入れてくれた。あれ?今度のは、ホントに苦い、というかシブいゾ!「ごめん!今おしゃべりしてて、うっかりこんなシブいお茶を入れてしまった。ちゃんと集中していないと、お茶はへそを曲げて渋くなってしまう。3回目はちゃんと味を取り戻すから」つまり、私たちとおしゃべりしていて、5秒ほど長く放置してしまったので渋くなってしまったらしい。たった5秒の差でお茶の味はこんなに変わるものなのだ。そして3杯目のお茶は、確かに、まろやかな味を取り戻していた。

飲み終わったお茶に水滴がまだほんの少し残っている。それをピエロの鼻みたいにピタっと鼻にくっつけて、残り香を楽しむ。香り、香り、香り。お茶を通して自分の感覚を取り戻し、コネクトする。眠っていた何かが、ゆっくり目覚めていくような感じ。

最後に、ティムからこんな逸話を聞いた。1972 年にニクソンが訪中して毛沢東に会った時のこと。毛沢東は、お土産に、と言って200gのお茶をニクソンにプレゼントした。アメリカ代表団は「何てケチな贈り物を・・・」と少々侮辱に受け取った。

しかし、後でわかったことは、それは中国の武夷山地区で1年に400gしか取れない大紅袍 というお茶。つまりその半分をお土産に、というのは中国の半分をニクソンに託したという意味があったという。

深遠なる中国茶の世界を知りたい方は、ティムの ブログで。(英語)http://themandarinstea.blogspot.com/

 

ホリデームードに包まれて

2週間半の日本滞在を終え、NYに戻って10日が発つ。
私の不在中、NYでは120年ぶりの最大規模の台風サンディの上陸とその被害、
大停電、地下鉄全線運行停止、ハロウイーン・パレード&NYシティ・マラソン
(ニューヨーカーのアイデンティティとも言える大事な行事)の中止、
大統領選挙、そしてダメ押しの吹雪など、とんでもない騒ぎが相次いだ。

一体NYはどうなってるんだろう、と不安だったけれど、市内は意外と
何もなかったように全てが平常通り機能している(ように見える)。
NYに戻ってみたら共和党のロムニーが当選! なんて事態になってなくて
本当によかった、ギリギリだったけどオバマが再選してほっとしたね、と
友人のジャーナリストに話したら「いや、実はオバマは結構大差で
最初から勝っていたけど、接戦で負けるかもしれない、というドラマを
演出していたんだよ」!? との返事にびっくり。

確かに、オバマは前回の選挙ともに、民主党候補としては最多の票を
獲得して当選を果たした。危機感を煽って膨大な選挙資金を集め、
有権者を投票所へ送りこむ、という作戦。

投票権がない私でさえ、まんまとはまって毎月$10をオバマの選挙事務所に
寄付していた。オバマの当選をささえたのは、女性とマイノリティ人種。
選挙事務所のボランティアが、選挙当日に一軒一軒有権者のドアをノックし
「投票して下さいね~」と呼びかけて廻ったのも大きかったようだ。

アメリカに来て、最初の頃、いつも不思議に思っていた。
なぜアメリカの大学では「政治学」(Politics)ではなくて、
「政治科学」(Political Science)を教えるのか、と。

つまり、すぐれた「政治」を教えるのではなく「どうすれば選挙に勝てるのか」
という「科学」を教える、ということなのだ。
当選のための戦略に長けていれば誰でも政治家になれる。
だから、ブッシュのような大統領が当選して、さらに再選までできてしまうという
恐ろしい事態になる。

でも裏を返せば、有色人種で富裕層の出身でもないオバマのような人物が
大統領になれるのも、こうした「科学」のおかげなのかも知れない。

***

今週木曜日は感謝祭の祝日で、アメリカはホリデームードに包まれている
というのに、NYのハーブ&ドロシー本部は、今最高に忙しい時期を迎えている。

明日からの2週間で、映画の全ての要素、映像、編集、音楽、グラフィックス、を
最終決定してピクチャー・ロックしなくてはならないからだ。

私は、明日木曜から週末一杯、編集のバーナディンの家へ泊まり込み、
そこでターキーを食べて感謝祭をお祝いしながら、ガリガリ編集作業をし、
グラフィックを修正して入れ込み、
オリジナル音楽のメロディなどを微調整しなくてはならない。

そして追撮もまだ残っている。
私が日本に行ってる間に、ナショナル・ギャラリーのスタッフが来て、
ハーブ&ドロシーのアパートから、作品を全て引き上げてしまったのだ!

そのシーンを何とか撮影したくて、
NGAと強行に交渉を続けたが実現しなかった(涙)
なので、ドロシーのアパートへ行って
作品がなくなった白い壁を撮らなくてはならない。

来週は、モンクレア美術館へ行って、オープニング・ショットを追撮する。
スクールバスが美術館へ乗り付けるワイド、
そして子供たちがバスから降りてくる足下の画像の2ショットだけ。
子供たちが展覧会を見ているシーンは撮影済みだけれど、
その前の映像がどうしても足りないからだ。
わずか2カット、合計(おそらく)10秒以下の映像を撮影するためだけに、
ニュージャージー州まで行く。

映画の最終段階は、こうして1カット1カットを精査し、
ほんの少しでも映画のクオリティを上げて行く作業。
映画の全貌がもうすぐ目の前に現れる直前の時間。
この2週間は、実にエキサイティングであり、恐ろしい日々でもある

NYという街の魅力&魔力

「NYは、一言で言うとどんな街ですか?」と先日ある人に聞かれた。何も考えず口をついて出て来た回答が「世界最高の街です。」

NYに済んで25年。思えばNYと私は、まさにLOVE & HATE「愛憎関係」の繰り返しだった。それでも、私が今でもここを離れられない、NYという街の魅力は何だろう?

NYは、世界中のモノ、ヒト、食、文化、宗教•••すべてがぎゅうっと凝縮された小宇宙。最高のものから最低のものまで、全てそろっているしどんな人でもフィットできる場所がある。そして、その間をわりと簡単に行ったり来たりすることもできる。ここで生活していると、誰もが、自分らしく生きるように、と励まされる。

ちょっと油断すると盗まれ、騙され、裏切られる。人々の憎しみがあからさまにぶつかりあう。先日、ラッシュ・アワーの電車の中で、黒人の太ったおばさん同士が、「あんた、私のケツにいま触った?!」「触るわけないだろ、このブス!」と大声で叫びながらののしり合いの喧嘩をしているのを見て、ああ、こういう光景って世界中探してもNYだけだろうなあ、と悲しいやらおかしいやら。毎日が緊張の連続。でもそんな戦場のようなところに、エアポケットのようなやさしさがあって、ほっとする。バスに乗っていて誰かが後ろの出口から降りようとしてる時にバスが発進すると、「OPEN THE DOOR!」(扉をあけてやれよ!)の大合唱が乗客から起きる。出張から帰って大きなスーツケースをタクシーから下ろして途方にくれていると、通りすがりの黒人のお兄さんが「NEED HELP?」(手伝おうか?)と言ってスーツケースをアパ―トの階段の上まで運んでくれる。道を歩いていると、しょっちゅう知らない人に声をかけられる。「そのハンドバッグ、どこで買ったの?」「そのスカーフ素敵ね」「そのマニキュアの色珍しいわね」などなど。ある日、考え事をして歩いていたら、よっぽどむっつりしていたのか通りすがりの男の人に「SMILE!!」と言われて、大笑いしてしまった。

男同士/女同士が手をつないで歩いても、80歳過ぎたおばあさんが胸の大きく開いたショッキングピンクのひらひらのドレスを着ても、あるいはそういうドレスを男が着ていても、雨も降ってないのに真っ黒い巨大雨傘をさして歩いても、まあ、それもありだよね、ってことでとやかく言う人はいない。よくNYに観光で来ている外国人から「道を聞かれてびっくりした!でも、何だか嬉しかった」という声を聞く。到着したその日から、誰でもニューヨーカーになれる。NYには、そんな懐の深さがある。世界中の人種がこのまちで、思い思いの夢や恨みを抱き、毎日生きのびるために、なりふり構わず必死だ。そんなエネルギーが刺激的でたまらない。

最初にNYに着いた頃、よく初対面の人に「What do you do?」(あなたは、一体何をする人なの?)と聞かれたのには戸惑った。その頃、私はインドの長旅から日本への帰国途中で、友だちの家に居候して適当にNYに暮らしながら、生活費を稼げる程度の仕事をしよう、くらいにしか思っていなかったから。でも、NYに住んでWhat Do You Do?の質問が繰り返されるうちに、いやでも「自分は誰?」「これから私は何をするの?」「私の人生はこれからどうなるの?」と問い続けられた。

振り返ると、私はその問いにいつも追いかけられて、つねにゴールを定め、やりたいことを探し、やるべきことをチェックし、前に進んで来た気がする。もしNYに住んでなかったら、私は、決して映画を撮ろうなんて、思わなかっただろう。

私がハーブ&ドロシーに出会い、映画を撮る気になり、そして完成できたのも、NYという口うるさいステージママがいてくれたからだと思う。意地悪く、時に残酷、でもおせっかいで、正直で実は心根はやさしいおっかさんのようなNYという街が、頑張れ頑張れと背中を押し続けてくれた。

今日、快晴の空の下に輝いてるNYをブルックリン側から見て考えた。私がいつかNYを出て行く日は、来るのだろうか?80歳になった時、このまちのエネルギーに耐えていけるんだろうか。もし日本に帰って、TVのニュースか何かで、今見ているNYの景色が映し出されたら、どんな気持ちになるだろう? 「おばあちゃんはねえ、昔あの魔法にかかったようなまちに住んでたんだよ」なんて、子供たちに言って聞かせてる自分の姿。

ほろりと涙がこぼれそうになったけど、思い直して地下鉄に乗ってマンハッタンへ向かった。ま、もうしばらくは、この厳しいおっかさんの懐でガマンして、修行を続けるとしよう。

サンタだらけのNYクリスマス・・・☆ ハーブ&ドロシーもプレゼント準備で大忙し!?

NYに帰った翌々日、町中にサンタが溢れているのにびっくりしました。何でもサンタコンというイベントで、世界中で開かれているそうです。目的は単純明快「サンタの格好をして街に繰り出し、楽しむこと」。シンプルなアイディアですけど、何千人もタイムズスクエアに集まると、圧巻ですね。
http://photo.news.livedoor.com/detail/32486

今NYは、「ホリデー・シーズン」のまっただ中です。NYには、様々な宗教の人がいるので、クリスマスだけではなく、ユダヤ教の 「ハヌカ」やアフリカの「クワンザ」など、他の宗教や民族の祭日も含めて12月を「ホリデー・シーズン」と呼んでいます。

普段は殺風景な通りにもイルミネーションがともされ、お店や家の外も飾りつけされてNYが一番きれいに輝く時です。そして今は、アメリカ人の財布の紐が思い切り緩む時でもあります。家族、友達、同僚、クライアントに、と皆プレゼントを買いまくるのです。アメリカの小売り業界の年間売り上げの半分〜3分の2が 、この1ヶ月のホリデーシーズンに集中してると言えば、その凄まじさは、ご想像いただけるかと思います。

私も、アメリカ人の友人宅に招かれて何度かクリスマスを過ごしたことがあるのですが、とにかく家族間の大量のプレゼント交換にはいつも圧倒されます。小さなキャンドルやキーホルダーといった小物から、ダイヤのネックレス、皮のコートなどの大きなギフト、そしてその中間のどうでもいいような「ペディキュアセット」とか「スウェットの上下」といった品々を合わせると、一人2〜3ダースは、プレゼントをもらいます。

結局プレゼントの多くは後日返品したり、クローゼットの奥にしまい込まれたまま。だったら、価値あるものだけを1つか2つだけプレゼントすればいいのに、と思うのですが、そうするとアメリカの経済が停滞してしまうんでしょうね。

ちなみに、ハーブ&ドロシーは、私がいつもお金に困っているのを知っていて、$50の小切手を切ってくれます(トホホ)。
ありがた過ぎて使えないので、全部とってあります。いつか、額に入れて飾りたいくらいです。

プレゼントと言えば、日本からNYに帰って私を待ち受けていたのは、大きな段ボール箱4つに詰まったTシャツ、そして日本から届いた大量のスケッチブック、チャーリー・クロフのプリント作品などなど。キックスターターを通じて続編を資金援助して下さったサポーターの皆さんへのプレゼントです。

帰国翌日から、スタッフ、インターン、多い時で7人が総出で、 袋詰め、ラベル貼り、郵送に明け暮れる毎日。ドロシーとハーブ も、$500レベルの特典として、50X50のカタログに、一人一人の名前を書いて、サインしてくれました。Tシャツやスケッチブックを袋に詰めながら、そして世界中から支援して下さったサポーターの皆さんの名前や住所を確認しながら、「愛だね〜」と、スタッフと一同しんみりした気分になりました。

最後に。皆さんは、子供に「サンタクロースはいるの?」と聞かれたら何と答えますか?1897年、NYに住む8歳の女の子、バージニア・オハンロンが地元紙NYサン宛に、手紙を書いて聞きました。「私の友達は、みんなサンタなんていないって言うんだけど、本当はどうなんですか」と。同紙が社説として掲載した答えは、100年以上経った今でも、世界中で読み継がれ、アメリカの新聞紙上最も有名な社説となりました。毎年この時期になると、多くのメディアで紹介されるのですが、何度読んでもすばらしい答えで「サンタって本当にいるよね〜」としてしまいます。

今日は、このヴァージニア宛に書かれた答えの一部をご紹介して終わります。皆さん、どうぞステキなクリスマスを!
サンタが沢山のステキなプレゼントを届けてくれますように!

「ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ・・・この広い宇宙では、人間って小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、本当のことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。実はね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといる。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。そもそもサンタクロースはひとの目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。ほんとのほんとうっていうのは、子どもにも大人にも、れの目にも見えないものなんだよ。・・・サンタクロースはいない?いいや、今このときも、これからもずっといる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはいつまでも、子どもたちの心をわくわくさせてくれると思うよ。」

全文の訳はこちらに:
http://www.alz.jp/221b/aozora/there_is_a_santa_claus.html

9/11から10年―忘れることと許すこと

9/11から10年たった今日、あの日に撮影したテープを引き出しの奥から引っぱり出して見てみた。10年間一度も見返すことがなかった映像だ。

10年前の9月11日の朝は、雲一つない真っ青な空が広がっていた。ツインタワーに飛行機が突っ込んで行った時、私は今と同じブルックリン・ハイツのアパートで呑気に寝ていて、朝からじゃんじゃんなり響く電話に起こされた。日本やヨーロッパからかけてきた家族や友達が、次々とメッセージを残していた。『NYが大変なことになってる!』と。起きだしてTVをつけて愕然とする。外へ飛び出して、イーストリバー沿いのプロムナードへかけつける。そこは、マンハッタンのちょうど川を挟んで向かい側に当たり、高台になっていて、目の前にウオール街の摩天楼が見える。 対岸の世界貿易センターからもくもく煙が上がっているのを、大勢の人が呆然と眺めている。静かに涙を流している人もいる。ラジオにかじりついて、ニュースを聞いている人もいる。

心がざわざわする。一体世界はどうなってしまうんだろう。私は今、何をすべきだろう。とりあえず今起きていることを撮っておこうと、ソニーのビデオカメラを取りにアパートへ戻る。プロムナードへ引き返して来て、その手前でドッカーンというものすごい音。爆弾が落とされたのかと思った。戦争が始まったのかと思った。ツインタワーの一つが崩壊した音だった。その灰塵で快晴の空が途端に曇って、濃い霧がかかったように世界が灰色になる。1メートル先も見えない。プロムナードで静かに対岸を見守っていた人たちからどよめきが起きる。「次は、どこが狙われるんだろう?ブルックリン橋?」

この時、私が圧倒されたのは「憎しみ」のパワーだった。この世界のどこかで、誰かがアメリカを、そしてNYに住む私たちをとてつもなく憎んでいる。その憎しみが、前代未聞の「暴力」となって、今目の前に現れている。それは、言葉では言い尽くせない衝撃だった。怒りという
より絶望、悲しみだった。人の憎しみというのは、こんなスケールで、形で、具現化するものなのか、と。

私はカメラを持ってブルックリン橋からマンハッタンへ向かう。とりあえず現場へ行って記録しなくては、と思う。今起きていることを忘れないように。

橋を渡ると、マンハッタン側から灰にまみれた人たちがゾンビのように続々と歩いてくる。ほとんどがスーツ姿。ウオール街で仕事をしていた人たちだろう。まるで映画を見ているような光景。

マンハッタンに入ってから、人の流れや警察の支持に逆らってダウンタウンへ向かおうとするが、全くダメだ。当時の私は、プレスパスもないので、現場にも近寄れない。橋を渡ってしばらくすると、知り合いにばったり出会った。彼女は、当時ツインタワーのすぐ近くにオフィスがあるドイツ銀行に勤めていた。頭からつま先まで真っ白だった。オフィスへ着く直前にタワーが崩れてきて、吹き飛ばされたらしい。
怪我もなく無事だったのは奇跡に近い。でも靴はなくして裸足で、ボロボロの鞄の中は、灰だらけだ。私を見てワーッと泣き崩れる。
彼女は、そのままアッパーイーストのアパートへふらふらと歩いて帰って行った。しばらくして、ドイツ銀行を辞めて、アラスカへ移住した、と聞いた。

その後、何を撮るでもなく大混乱のNYの街を彷徨い、カメラを回し続けた。夕方、力尽きた頃、歩いてとぼとぼとマンハッタンブリッジを渡ってブルックリンに戻る。撮影したテープを家に帰って一度だけ見てそのまま引き出しに放り込んでしまった。とりあえずカメラをまわすことで、あの現実離れした1日をやり過ごすことができた。でもテープは二度と見直さなかった。

今日プロムナードへふらりと行って見ると、ツインタワーがあった頃の写真が飾られて、その前に花が添えられていた。『NEVER FORGET』(決して忘れるな)という一言と共に。9/11を境に、NYが、アメリカが、世界が一変したと言う。では、何がどう変わっただろう、と身の回りの生活を見回してみる。空港のセキュリティは厳しくなった。ニューヨーカーは、少しだけ忍耐強く、そしてやさしくなった(気がする)。”If you see something, say something” 『何か(不審なもの/人を)見かけたら、通告しよう』なんていうモットーが日常の一部になった。大統領がかわり、深刻な不景気になった。他には明らかに変わった、と言えることはないかも知れない。ただ、あの日の衝撃は、私たちの中で、まだ消化しきれずに残っている。グランドゼロは、綺麗に整備されて『フリーダムタワー』が建設途上だけれど、
あの時に対岸まで飛んできたツインタワーの残留は、未だにこの辺をちらついている、そんな感じなのだ。

丁度10年目の今日、街角から、メディアから、9/11のことを『決して忘れるな』という声が一斉に聞こえてきた。クリントン元大統領は演説で「この日のことは、2500年たっても決して忘れない」と言った。その言葉は、12月になるといつも流れる“Remember Pearl Harbor” 『真珠湾を忘れるな』のマントラと重なる。この『忘れるな』という呪詛が、広島で、長崎で30万人の命を一瞬のうちに奪う結果となった。

2001年9月11日、NYで3千人近い無実の人の命が奪われたことは覚えておくべきだろう。でも、もう一つ忘れてはならないのは、9/11をきっかけにアフガニスタンとイラクで二つの大きな戦争が始まったこと(しかもイラクは、9/11とは全く関係ないのに)。そして数十万人もの人々の命が奪われ、このドロ沼の戦争には10年たった今も終わりが見えていないことだ。

クリントン元大統領は、以前にも『決して忘れない』と言ったことがあった。任期を終えた時の記者会見で、モニカ・ルインスキーをきっかけとした一連の大統領弾劾訴追事件について質問された時。ある記者に『あなたは、この事件をいつか忘れられますか?』と聞かれて“I can forgive, but never forget.”『許す事はできるけど、決して忘れはしない』と答えた。

英語の表現では、よくFORGET とFORGIVE (忘れることと許すこと)がセットで使われる。「9/11を決して忘れるな」という言葉の向こうにちらついているのは、いつまでも憎しみの気持ちを忘れるな、許してもいけない、というメッセージだ。振り上げたコブシを下ろせずにいるアメリカは、こうつぶやくしかないのだろう。

NYのあるヨガの先生からは、こんな教えを授かった。『とにかく忘れなさい。そうすれば自然に許せるようになる』。
忘れて、そして許すことができなければ、私たちの住む世界、社会、職場、家庭から、憎しみや対立、戦争はなくならない。

9/11を忘れるな!という大合唱が響くNYで、10年前に撮影した映像を見ながら,今日1日、そんなことを考えた。

台風直撃報道を前に、ハーブ&ドロシーの二人は!

今回がメールマガジンの第1回目。ブログも書いたことの
ない私が、ちゃんと皆さんに読んでいただけるものをお届
けできるのでしょうか?と不安一杯。どきどきです。配給
チームの皆さんにお尻をたたかれ、やっと重い腰を上げま
した。NYで身近に起きていること、そしてハーブ&ドロシ
ーのその後の様子や続編の進み具合をお知らせしていく
予定です。皆さんからも「こんな事が知りたい!」というリ
クエストや質問があれば、どんどんお寄せ下さい。

今はNYに着きました。今回は、4ヶ月半ぶりの帰国でした
が、今回の滞在中の後半は、どこへ行っても台風、台風、
台風で疲れました。実際の台風ではなくて「台風がくるぞ
ー」という予報に、です。

8月末は、アート台北にご招待されて、台湾へ行ってまし
た。『ハーブ&ドロシー』はメインイベントの1つとして
3回上映され、おかげさまで毎回満員立ち見で大盛況で
した。アートフェアの最終日、丁度日本へ帰国する当日、
ここでも台風が来るという予報。帰れなくなるのでは、と
心配したのですが、結局台風は西へ抜けて影響は全く
なく、飛行機も時間通りに飛びました。

今週初めにNYを「直撃するはず」だった台風アイリーン
(それにしても、なぜアメリカ人は台風にいちいち名前を
つけるんでしょうねえ。誰か知っていたら教えて下さい)。
フェミニンな名前にそぐわない、超ド級の台風と予想され
ていたのに、NYに到着する頃には拍子抜けするくらい弱
まってました。NYのブルンバーグ市長は、台風が来る前
から地下鉄、バスなどの公共の交通機関を全て停止(NY
史上初めてだそうで)、避難命令が出され、やれ停電にな
るの、ネットもつながらなくなるの、と大騒ぎになりました。
というのも、NYではつい1週間ほど前に(とても小さな)地
震が50年ぶりにあったばかりだったので、市長始めちょっ
とパニクってしまったのかも知れません。

NYのみんなは大丈夫?とフェイスブックで問いかけたとこ
ろ「パーティ騒ぎだよ。You know how New Yorkers are? 
(ニューヨーカーのやることだもの、わかるでしょ)」
という返事。多くのビジネスには大打撃でしたけど、酒屋
さんだけは、大晦日なみの大繁盛だったそうです。9/11
以来こんな感じでNYの人は台風も大停電もパーティでお祝
いするのが習慣になっています。「テロでさえなければ
ラッキー。乾杯!」みたいな感覚で。

私達は、台風の(予報の)影響で8月29日にスタート予定
だったあるキャンペーンを延期せざるを得なくなりました。

ハーブ&ドロシーはというと、3日分の食糧を買い込んで
マンハッタンのアパートに籠っていたようです。停電をと
ても心配していて、あの狭いアパート内を移動するのに
懐中電灯を手放さなかったとか。私の仲のいい友達がす
ぐ近くに住んでいるので、何かあったらすぐにかけてつけ
てもらえるよう一応頼んではおいたのですが。こういう時、
子供がいない二人は本当に大変だな、とつくづく思います。

最後、簡単に続編の進行状況のお知らせです。今のところ、
撮影は7割ほど終わりました。今度は、二人のコレクショ
ンに焦点を当てるので、二人がどんなアートを集めていた
のかがよくわかって、アートの楽しさが満載。そして勿論、
ハーブ&ドロシーの近況もたっぷりご紹介します。今後の
予定は、資金集めをしながら、同時に残りの撮影とオフラ
インの編集を進めて行きます。目指すは、来年春の完成で
す。

詳細は、今後のメールマガジンでお伝えして行きますので、
乞うご期待!

9/4 到着したばかりのNYにて