中国茶に眠ってる感覚を呼び覚まされた

先日、友人の紹介で香港出身のグラフィック・デザイナー、ティムに会った。彼は、子供の頃からお茶の魅力にとりつかれ、ソーホーの仕事場の一角に秘密のティー・サロンを設けて、中国茶を振る舞っている。つまり、予約制で外には宣伝していない、とてもプライベートなサロン。

私には、全くお茶の素養はないのだけれど、2時間に及ぶ濃厚な体験で、 日本に茶を伝えた中国には、全く違う茶の文化があることに驚いた。

日本のお茶は、招待した主人と客との間のおもてなしの作法と、道具や器などに芸術性を追求している。中国のお茶は、お茶を飲む人とお茶の純粋な関係、つまり茶の味と香りの楽しみを極めたもの。

ティムは、まずお茶の葉にお湯を通したものをカップに入れて蓋をし、「どうぞ」と私の前に置いた。蓋をあけて、どうぞ鼻を突っ込んでみて下さい、とティム。これから飲むお茶の葉の香りをまず楽しむという事らしい。そして、直径4cmほどのおちょこサイズの白いシンプルなティーカップにお茶を注ぐ。

「これを3口で飲んで下さい。中国のお茶は、飲むときに、ズルズルと音を立ててもいいんですよ。」そしてお茶を、じゅるじゅる言わせながら口の中で泳がせる。お茶の味が口一杯に広がる。意識を集中して、そのアロマを楽しむ。二口目は、お茶の苦みが消えて、少し甘くなっている。3口目を飲み終わる頃には、鼻孔、眼の裏側を通って脳みそまでお茶の香りが広がったような気がするほど、お茶の香りが頭蓋骨一杯に充満する。

では、次にとっておきのお茶を、と言って小さな急須を出してきた。「でも、その前に」と言って、今までお茶を飲んでいたカップにお湯を入れる。つまり口の中をすすいでリセットする、ということなのだけれど、そのぬるいただのお湯が、また何とも言えない甘い味。口のなかにまだほんのりと残っているお茶の香りが、お湯の味をここまで変えてしまうとは、まさにマジック。

私たちは、忙しい毎日の生活で、どれだけ自分の感覚 と乖離していることだろう。たった一杯のお茶が私たちの五感に命を吹き込み、呼び覚ましてくれる。人間の感覚とは、何て繊細で複雑なのかと思う。

急須にお茶を入れ、その上からじゃぶじゃぶとお湯をかけて暖め、またはお湯を別の容器に入れて温度を下げ、といった作業を何度か繰り返してカップに注ぐ。今度のお茶の一口目は少々苦い。でも二口目は、その苦みが和らいでいる。そして3口目は、苦みがすっかり消えて、ほんのりフローラルな味に変わっている。「ノドを通り過ぎる時の味にも注目して下さい」お茶がノドを通りすぎるとき、一瞬チョコレートのような味がした。

「お茶とは、まさに人生なんだよ」とティム。若い頃、人生とは実に苦いものだと思うよね。だけど、苦い経験を繰り返して行くうちに、つらいと思ったことも、苦に感じなくなる。そして、気がついたら人生には花の香りが漂ってることに気づくんだ。つまり、どんなにつらいと思っても、生きて経験を積むうちに、苦さが人生の味わいになってくるということ。今は苦いと思っても、通り過ぎれば、向こう側には限りなく芳醇な人生が待っているものさ。」

そんな話をしながら2杯目のお茶を入れてくれた。あれ?今度のは、ホントに苦い、というかシブいゾ!「ごめん!今おしゃべりしてて、うっかりこんなシブいお茶を入れてしまった。ちゃんと集中していないと、お茶はへそを曲げて渋くなってしまう。3回目はちゃんと味を取り戻すから」つまり、私たちとおしゃべりしていて、5秒ほど長く放置してしまったので渋くなってしまったらしい。たった5秒の差でお茶の味はこんなに変わるものなのだ。そして3杯目のお茶は、確かに、まろやかな味を取り戻していた。

飲み終わったお茶に水滴がまだほんの少し残っている。それをピエロの鼻みたいにピタっと鼻にくっつけて、残り香を楽しむ。香り、香り、香り。お茶を通して自分の感覚を取り戻し、コネクトする。眠っていた何かが、ゆっくり目覚めていくような感じ。

最後に、ティムからこんな逸話を聞いた。1972 年にニクソンが訪中して毛沢東に会った時のこと。毛沢東は、お土産に、と言って200gのお茶をニクソンにプレゼントした。アメリカ代表団は「何てケチな贈り物を・・・」と少々侮辱に受け取った。

しかし、後でわかったことは、それは中国の武夷山地区で1年に400gしか取れない大紅袍 というお茶。つまりその半分をお土産に、というのは中国の半分をニクソンに託したという意味があったという。

深遠なる中国茶の世界を知りたい方は、ティムの ブログで。(英語)http://themandarinstea.blogspot.com/

 

カナダでまさかの人種差別?!トロント空港の移民局で

先日、ドロシーと一緒にカナダのトロントへ行ってきた。小さいけれど、
良質のアート系ドキュメンタリー映画を見せるステキな映画祭
「Reel Art Film Festival」のオープニングに招待されてのこと。

そこで新作「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」のハイライト
(およそ40分)を上映。ワールド・プレミア前で全編上映できないので、
抜粋シーンだけしか見せられないにも関わらず、
映画祭のオープニング映画として紹介された。

ドロシーにとって、飛行機で旅行するのは4年ぶり。
しかも、ハーブが亡くなってから、1人での海外旅行は初めてだった。
なので、2泊3日の旅、NYから飛行機でわずか1時間半の距離なのに、
すごく緊張していた。

NYとトロントの空港で車椅子を手配する。
空港内の長距離を歩くには、高齢のドロシーにはキツすぎる。
車椅子にだと、特別扱いで、セキュリティも移民局も列に並ばず、
優先的に手続きを済ませてくれるので便利。
ところが、トロントに到着して、カナダの入管手続きで
ちょっとしたトラブルがあった。

まずドロシーが先にパスポートを出す。少しやりとりした後、
私が前へ進んでパスポートを出したら、若いカナダ移民局の男性職員が、
じろじろと私とドロシーの顔を見比べて「あなたとこの人の関係は?どうやって2人は知り合ったのですか」と聞かれ、一瞬戸惑った。

2人の関係?
どうやって説明すればいいのだろう。

でも、ウソをついて後でややこしいことになると困るので、正直に答える。「私はドキュメンタリー映画監督で、彼女は私の映画の主人公なのです。
映画の撮影で10年ほど前に知り合いました。」

すると、その移民局の担当者の目が点になり
「君ね、態度悪いんだよ。後ろに下がって!」と怒られる。
「はっ?」一体何が起きているのかわからない。
「態度が悪いって、どういう・・・」と反論も許されない。
「いいから後ろに下がって!」

私がアジア人で、ドロシーが車椅子に乗っている白人の高齢者なので、
きっと私は介護人か何かだと思ったのだろう。

映画監督?ドロシーが主人公??
それは、きっとその移民局の男性の想像の枠を
あまりに越えていたのかも知れない。

何を言っても埒が開かず、「君たちは移民局行き」と言われ、
通関のカードに何やら一杯書き込みをされて、
私とドロシーはとぼとぼと移民局に「送還」された。

移民局のオフィスに着くなり、金髪の女性職員がでてきて、
今度は私の顔を見るなり開口一番に
「あなたの態度が悪いからここへ送られてきたの、わかる?」

やれやれ。一体どうしてこういうことになるのか、全く理解に苦しむ。
でも、ここで反論すると、何時間も拘束&尋問されることになる。
今まで訪れた世界各地の移民局での経験からすると、
悔しいけど、ここは黙っていた方がよさそうだ。

「カナダへ入国できるのは、privilege(特権)なのです。
我々は、あなた達を本国に返すこともできるし、
カナダに入れてあげることもできる。」

いや、別に私が自分で来たくて来たわけではなくて……。
という説明もさせてくれない。

「私たちは、映画祭に招待されてきたのよ。彼女が私の映画を作ったの」
と可愛い声で訴えるドロシーの声も、耳に入らない様子。

「この人と知り合ってどのくらいですか?」
ドロシー曰く「もうかれこれ10年。とても良い人なのよ」
こういう時のために、顔写真入の映画祭のプログラムを
持ってくるべきだった、と後悔した。

私は、もうNYに帰るゾ、という気分になっていたのだけれど、
結局、パスポートにスタンプが押され、入国を認められた。

一緒にいた空港職員は、
「私は何も言える立場にないから口を挟まなかったけど、
いや本当に悪いことしたね。
これでカナダの滞在が台無しにならないことを祈りますよ。」と
優しい言葉をかけてくれた。それで少しは気分が晴れたけど、
今思い出しても、あからさまな「悪意」のKOパンチを
真正面からぶつけられた気がして、かなりへこんだ。

恐らく「人種差別」とは、こういう事なのだろう。
私はNYに長年住んで、ここまであからさまな差別にあったことが
なかったので、面食らった。
カナダは、アメリカと違って移民政策に寛大だし、
アメリカよりずっとフレンドリーな国だと思っていたのに、
カナダに対する印象がすっかり悪くなってしまった。

出だしはまずかったけれど、映画祭の方は
オープニング・パーティと上映会に300人近い人が来てくれて大盛況。
ハイライト上映にも関わらず、大好評をいただいた。

ドロシーと一緒に、地元のメディアに沢山取材されて、
空いてる時間に、パワープラント(という美術館)、
オンタリオ美術館を見に行き、美味しい食事を行く先々で振る舞われる。
大満足の3日間だった。

 

 

 

 

 

 

来週火曜日は、いよいよNYのホイットニー美術館にてワールド・プレミア。 今日は、新宿ピカデリーにて、3月26日の

ジャパン・プレミアの打合せをしてきた。

580人収容の巨大シアターでの上映会。
私のアパートのリビングくらいある大きさのスクリーン!
ここにハーブ&ドロシーの姿がどんな風に映し出されるのか。
今から楽しみだ。

3月30日の劇場公開へ向けて、準備は着々と進んでいる。

大統領選でも使われているクラウド・ファンディング

今日は、3度目の大統領討論会。ロムニーが外交問題に疎いせいもあって、お互いの突っ込みが弱くて面白くなかった。討論会後に出た世論調査では、浮動票のオバマ支持が53%・・・微妙なところですね。

何としても、オバマに再選して欲しい! 私はアメリカの市民権がないので、投票できないのだけれど、去年、クラウド・ファンディングを始めてから、みなさんに支援をお願いするだけではダメで、自分も支援する気持ちをちゃんと伝えなくては、と思い立って、以来毎月10ドルづつオバマの選挙キャンペーンに寄付をしている。

アメリカに住んで25年にもなるけれど、選挙活動に寄付したのは、今回が初めて。その後メーリングリストに載ったので、毎日キャンペーン・オフィスからメッセージが届くようになった。そして、このメールが、実によく出来ているので、いつも感心して見ている。送るタイミング、送信者の名前、体裁、内容、全てシンプルながら、相当考えられたものであることがわかる。

例えば、さっきTVで討論会を見終わり、オバマが舞台裏に退場した、と思った瞬間に、メールが届いた。

しかも、題目が “Hey”ですよ。日本語に訳すと、こんな感じ。

「メグミ、(必ずファースト・ネームで、Dear とか、敬称もなし)、
あとは、君次第。4ドル出してよ(Please もなしの命令形)。それで勝とうぜ!」

その下に、$4~250までのレベルで、QUICK DONATEのリンク、最後に 「ありがとう、バラクより」

日本語にするとものすごく図々しくてイヤな感じに聞こえるかも知れないけど、英語の表現だと実に親しみやすく、友だちからメールをもらったような感覚。

うだうだと説明もせず、人々の心を一言でキャッチできるように、とても念入りに練っているはずなのに、そういう意図も全く見えない。(でもクラウド・ファンディングの経験者には、わかる!)送り主も、オバマ本人からで(最初このメールが届いた時は、本当に驚いた!)、大統領とか、選挙事務所とか、そんな言葉は一切なし。だから、普通のメールと思って開いてしまう。

送り主は、副大統領のジョー・バイデンのこともあるし、奥さんのミシェル、ビル・クリントン、時には、サラ・ジェシカ・パーカーのように、セレブから届くこともある。でも、いずれのメッセージも、同じようにシンプルで、軽くて、でもちょっとだけ心にひっかかる事をさらっと言っている。

さすがだなあ、と思う。誰が、どのように戦略を立てているのかわからないが、オバマの選挙運動スタッフは、まさにクラウド・ファンディングの極意をつかんでいるなあ、と感心する。

で、やっぱりこの軽い誘いに乗って私もするっと$4のボタンを押して寄付をした。今日の討論、オバマが頑張ってくれたから$4くらい寄付しなくては、ですよね。QUICK DONATEのボタンをワンクリックして、パスワードを入れて、それでおしまい。このネットのインフラの整い方もすばらしい。

ということで、アメリカのクラウド・ファンディングは、大統領選にまで使われている、というご報告でした。

コスタビはコン・アーティストか?

一昨日、アーティストのマーク・コスタビをインタビューした。

私がNYに来たばかりの1980年代終わり、コスタビは時代の寵児とばかりに、アンディー・ウオーホールと写真にツーショットで収まったりして、メディアを賑わしていた。私も、当時雑誌の取材の仕事をしていた頃、一度だけ彼をインタビューした事がある。(どんなインタビューだったかは、全然覚えていないけれど)日本でも、かなり知名度があり、人気もあったと記憶している。

あれから25年後の今、彼の名前がメディアに出る事はほとんどない。それどころか、彼の評判はがた落ち。何年か前に、Con Artist- Rise and Fall of Mark Kostabi (ペテン師アーティスト マーク・コスタビの成功と凋落)なんていうドキュメンタリー映画が作られたほど。(プロデユーサーは、知合いのペリー・グラヴィンだったこともあって、よく覚えている)

彼の評価が落ちたきっかけは、アシスタントを大勢やとってアートを「大量生産」し、アートをビジネスにして儲けるぞ!みたいなことを公言したからだ。100ドル札で身体中をカバーした写真が雑誌に載ったりして(本物の100ドル札を700枚使ったとか)、随分アート界の神経を逆撫ですることになった。とにかく、有名になるためには、なりふり構わない、みたいな姿勢が下品に思われたのか、そのうち彼の名前は、全く聞かなくなった。

その経緯はある程度知ってたので、50X50の取材をして、ハーブ&ドロシーのコレクションのリストにコスタビの名前を発見した時には、本当に驚いた。ええ、あのハーブ&ドロシーのコレクションに悪評高きコスタビの作品が?しかも76点も?!でも、良く見ると全ての作品は80年代半ばに描かれたドローイングで、コスタビ曰く二人が買ったのは全て「アシスタントを雇う前に、彼が自分で描いた」作品とのこと。ドロシーに聞いたら「アシスタントを雇って創作するのは、ミケランジェロだって、ジェフ・クーンズだってやってるわよ。全然気にならない」とのこと。彼の作品は、楽しくて、ユーモアに溢れてるところを、ドロシーはとても気に入っている。

昨日訪れたコスタビのチェルシーのスタジオでは、今も大勢のアシスタントが、せっせと絵を書き、絵を大量生産していた。一時は、日本からの需要が多かったけれど、バブル崩壊後はぱたりと注文が途絶え、今はもっぱらイタリアからの注文が多いという。(コスタビは、1年の半分をローマで過ごしている)

50歳を過ぎた彼は、少々中年太り気味で、派手なストライプのシャツや、プラチナや、赤や緑に染めていた80年代の頃の華やかさはない。何を聞いても、率直に答えてくれるし、自分を良く見せようとか、そんな素振りも一切ない。今、個人も企業も、自分達のイメージを傷つけないようにとやっきに取材コントロールしているのに、彼の正直で開けっぴろげな態度には、とても好感が持てた。映画「コン・アーティスト」についても、彼は「そういう見方もあるということで」と言って気にしている風でもなく、今も堂々とFAME IS LOVE、「名声は愛」と断言している。

私自信も、彼に会う前は、世間と同じ色眼鏡で見ていた。ハーブ&ドロシーは、どんなアーティストでも、決して批判、非難しない。世間の評判とは関係なく、「アーティスト」という人種を愛し、尊敬し、純粋に作品だけを見つめてコレクションした。コスタビを取材してみて、誰にも惑わされず自分でアーティストやアート作品を評価することの難しさを思う。それには、ハーブ&ドロシーのように、相当の自信と信念ががなければできないと改めて実感した。

5年ぶり、クリストとのインタビュー

撮影後にクリストとクルーと

前回『ハーブ&ドロシー』のインタビューで、マンハッタンのクリストのスタジオを訪れたのは、5年前。まだ奥さんのジャンヌ=クロードが健在の頃。必ず2ショットで二人同じサイズで画面に入るように撮影すること、とジャンヌ=クロードに厳しく指示された。クリストが話そうとすると、真っ赤に燃えるような髪の毛を揺らして、彼女が話し始める。夫婦二人のやりとりが痛快だった。

クリストは、今回インタビューを快諾してくれたものの、一人で、どれくらい話をしてくれるのだろう・・・そんな私の不安なんて吹き飛ぶように、クリストはものすごく饒舌に、話し出したら止まらない。そして、ジャンヌ=クロードの名前が全ての文章に散りばめられていた。特に二人で1970年代からスタートしたマスタバとコロラド・リバーのプロジェクトの話になると目がキラキラする。今は、クリスト一人で進めているのに、あたかもまだ彼女が生きているかのような口調で。パートナーシップは、パートナー亡き後も続いている。

エネルギッシュなクリストを見て元気をもらった。彼の30年越しの壮大なプロジェクトに比べたら、私の映画なんて本当にささやかなものだとつくづく思う。

アートと何かが交差する時

この1週間は、 intersection – 交差点 という言葉がすごく気になった。

アメリカ人はこの言葉が大好きで、二つの一見相容れないものが交わって、意外な結果が出る時の表現によく使う。今週私が行き当たったのは、いくつかのアートとの交差点だった。

まずは中国人のアーティスト、アイ・ウェイウェイ(艾未未)のドキュメンタリー映画『Ai Weiwei : Never Sorry』。知合いの監督、アリソン・クレイマンが撮った映画で、サンダンス映画祭でも大きな話題になった。アイ・ウェイウェイは、中国政府を相手に反体制的なメッセージを発信する挑発的なア―ティスト。映画を見ていて、最初は命がけで創作活動をしているアーティストとしての姿に感動する。でも、そのうち何かおかしい?と思い始める。

たとえば、数年前の逮捕時に暴力を振るったと言って、私服警官にせまり、サングラスを奪い取り、戸惑う警官の写真を撮ってtwitterに載せるという行為。暴力を振るった警官がいいとは言わないけれど、警官だって体制の一つのコマとして言われたことをやったわけで、彼個人を攻撃するのはフェアじゃないのでは?彼の挑発は一線を越えてないだろうか?アーティストというよりアクティビストじゃないか?彼の立ち位置は、まさにアートと政治の「交差点」だ。

次に行き当たったのが、エル・ブリというスペインのレストラン。グルメの方はご存知かと思うが、私はドキュメンタリー映画を見て初めて知った。バルセロナから車で1時間半程の郊外にあるエル・ブリは、世界で最も予約の取れないレストランとして有名。年に殺到する予約希望者は100万人。そのうち食事ができるのは8,000人というから、すさまじい競争率だ。

ここの食事の何がスゴいかというと、「食」という体験や既成概念を真っ向からぶちこわす驚愕の料理が40皿近くでてくること。それは、美味しいという感覚を越えて、とにかく「驚き」だという。

というのも、シェフのフェラン・アドリアがメニューを考えるにあたって考えるのは、普段当たり前と思っている食の概念は正しいのか
ーたとえば「スープは液状じゃなければダメなのか?」「デザートは、甘くなくてもいいのではないか?」ーといった問いなのだ。

レストランは半年だけオープンして、残りの半年で翌年のメニューを研究するという。仕事場は、キッチンというより実験室。まさに食と科学が交差する地点。そして創りだされた料理の見た目の美しさは、間違いなく「アート」だ。

残念ながら、レストランは去年7月でクローズしてしまった。エル・ブリは 、今後レストランではなく、財団として食の研究を続ける場になるらしい。

いま、遅ればせながら読んでいるのが、スティーブ・ジョブズの伝記。これまでもジョブズやアップル関連の記事を読むたびに目についた言葉であり、そして本の中でも書かれているのが、「テクノロジーとアートの交差点」。ジョブズのビジョンを的確に表している。

NYを拠点に世界的に活躍されていたアートディレクター&デザイナーで、今年1月に逝去された石岡瑛子さんの旦那様のニコさんと先日お会いした。石岡さんが、生前『ハーブ&ドロシー』を気に入って何度も繰り返し見てくださったという。アートを難しい言葉で語らず、目で見たままを受け入れている二人の姿に感動した、と。そして、すべての場面を細かく見て分析されていたらしい。美を徹底的に追求した石岡さんの目に『ハーブ&ドロシー』がどう映ったのか。石岡さんご本人とお話する機会を持てなかったことは残念でならない。

しかし、世界トップレベルの映画の現場で仕事をされてきた石岡さんに『ハーブ&ドロシー』を評価して頂いたとは、身に余る光栄である。
ニコさんが、最後にぽつんとおっしゃった。「エイコは、東と西、そしてデザインとアートの交差点をいつも追求していた」

「アートと異質の何かが交差すると、すさまじい化学反応が起きる」この一週間の発見だった。

新作『ハーブ&ドロシー 50×50』では、アートと何が交差するのだろう?ピクチャーロックまでに、「交差点」をどれだけ多く見つけられるのだろう?いまの時点で、ストーリーのほぼ4分の3が固まったという感触。まだまだ試行錯誤が続いている。

映画では使えなかったジョン・チェンバレンのインタビュー

この週末、グッゲンハイム美術館にジョン・チェンバレン展を見に行った。

チェンバレンと言えば、最初にハーブ&ドロシーのコレクション入りした作家。映画の中で、初めの方に出てくるナショナル・ギャラリーでのシーンは、きっと覚えて下さる方も多いと思う。ハーブが、獲物を狙う動物のような目でじーっと見て、「買ったときは、この置き方じゃなかった」という、あの場面。

チェンバレンは、1950年代終わりに出てきた抽象表現主義の作家。絵の具の代わりに、廃車のパーツを使い、キャンバスではなく、立体的な彫刻で知られる。アメリカの消費文化の象徴とも言える車を素材にして、ダイナミックでカラフルな色使いの彫刻は一斉を風靡した。

今だから言えるけれど、実は私は「ハーブ&ドロシー」の映画のために、チェンバレンをインタビューしたことがある。二人が、結婚後初めて購入した作品を買った時の様子やいきさつを是非知りたいと思ったからだ。NYから車とフェリーを乗り継いで4時間かけて、シェルター・アイランドという小さな島に、2005年の12月にカメラマンのアクセルと二人で訪れた。

そこで待っていたのは、彼の半分くらいの年のお美しい奥様(4人目)と、同じくお美しい高校生の娘さん2人。体育館くらいあるような巨大なスタジオにあふれ返る色とりどりの車のパーツと、その合間にそびえる彼の新作は圧巻だった。

とても愛想のいい奥様と娘さんとは対照的に、のっけからチェンバレンは不機嫌だった。何を聞いても「知らん」「覚えてない」の繰り返し。明らかに人を見下す態度。そして最後に「ああ、あのチビのことか?」スタジオの後ろの方で、母と娘たちは、小動物のように身を寄せて怯えながらその様子を見ていた。

インタビューは15分で終わった。

ところが、カメラを片付けたとたんに彼は上機嫌になって「今実験的につくってる新作を見せるよ」と自宅兼オフィスに案内してくれる。写真をコピー機でキャンパス地に印刷したイメージを見せてくれた。私はインタビューが上手く行かなかったことで、ぶりぶり怒っていたので、そっぽを向いていた。今思うと、何て大人気ない。

すると、チェンバレンがその作品にサインして「メリークリスマス!」と言ってアクセルと私に一点ずつプレゼントしてくれるではないか。(そうだ、今思い出したけれど、あの作品はどこへ行ってしまったんだろう?!)

何とかチェンバレンのインタビューを使えないかと編集のバーナディンと頭をひねったけれど、ダメだった。というのも、彼の悪辣さは、映画のトーンにあまりに合わない。このインタビューを使うとチェンバレンも、ハーブ&ドロシーの事も良く見えないし、何ていうか、映画が濁ってしまう。

彼の口の悪さは、世間で有名だったらしい。ということを、展覧会のオーディオガイドで知った。中西部生まれで幼い時に両親が離婚し、中卒、若い頃に奥さんを病気で亡くしていた。彼のはったりの陰には、とても傷ついた心があったのかも知れない。本当はビッグハートの持ち主である事を隠すための、彼独特のはにかみだったのか、とも思う。

グッゲンハイムで見た作品の数々は、そんな彼の複雑な人間性が垣間見えるものだった。乱暴なようで、エレガント。雑なようで繊細。男っぽいけれど女性的。そして、廃車になった車のバンパーとは思えてないような見事な色使い。ハーブ&ドロシーのコレクションにあるような小さな作品も何点かあった 。ハーブが言ったように、どれも「小品ながら大きなスケールを感じさせる」ものだった

アートのことを全く知らず、彼の作品のこともわからないままインタビューしていた私。チェンバレンは、そんな私の無知を見抜いていたんだと思う。失礼なのは、私の方だった。

チェンバレンは、去年の12月、このグッゲンハイムでの回顧展のオープンを待たずに 、84歳で亡くなった。彼には「ハーブ&ドロシー」が完成した時の案内さえ送らなかった。彼は、映画を見てくれたのだろうか。それを確かめることも、お詫びを言うチャンスもなかったのが、悔やまれてならない。

アーティストMarty Johnsonー多作の秘訣は?

「ハーブ&ドロシー」では、多くの著名なアーティストを紹介しましたが、二人がコレクションしたのは、必ずしも成功したアーティストの作品ばかりではありません。続編「50X50」では、無名アーティストを何人か紹介します。その一人、マーティ・ジョンソンを、2月末に取材&撮影しました。

1970年代の終わり、Found Objects(身の周りにあるモノ&使い捨てられたモノ)を使ったサイケデリックな色使いのポートレイトや彫刻で、マーティは一時脚光を浴びます。ハーブ&ドロシーと出会ったのは、その頃です。しかし、移り変わりの激しいNYのアート界は、あっという間にマーティにそっぽを向けます。

80年代終わり、アートでは生活費を稼げなくなったマーティは、NYの小さなワンルームのアパートを引き上げ、父親の事業をつぐために、実家のあるバージニア州リッチモンドに拠点を移します。以来、配管工事の部品販売のビジネスを継いで大成功させ、事業の合間に創作活動を続けました。

25年以上、展覧会も開かず、一点の作品を売ることもなく、ただひたすら、自分の楽しみだけのために作品を創り続けたのです。今、マーティの、スタジオ兼ギャラリ―になっている小さな4階建てのビルは、おびただしい数の作品で溢れ返っています。彼自身も数えたことはないけれど、推定1万点はあるとのこと。これは、日曜画家の域を越えた多作ぶりです。こんなに旺盛な創作意欲を持ち続けるのは、プロのアーティストでもめずらしいのではないでしょうか。多作の秘訣は?と聞いたところ、「アートが僕にとって生きがいであり、唯一の人生の目的。創作をやめる事は、イコール死を意味する。黙っていても自分の内側からどんどんアイディアが湧いてくるんだ。」

作品を「売る」ことを潔く放棄して、自分の好きな時に、作品を好きなだけ創るという選択をしたマーティ。こういうアーティストとしての生き方もあるのか、と考えさせられました。それは、アート・コレクションと仕事を区別し、購入した作品を決して売らなかったハーブ&ドロシーの精神にも通じるところがありますね。

マーティの作品は、ハーブ&ドロシーの「50X50寄贈プロジェクト」を通じて全米35の美術館に所蔵されることになり、少しずつ注目を集めはじめています。地元バージニア州では、去年、27年ぶりに個展も開かれました。アーティストとして、再び多くの人に作品を見てもらえることを、彼は素直に喜んでいるようです。

イエローストーン美術館のすばらしいアイディアーVisible Vault

大きな美術館には、数千点、数万点という所蔵作品がありますけど、その全てを見るのは不可能ですよね。ところが、この問題を解決した美術館が、アメリカにあるのです。先週、ハーブ&ドロシーのコレクションの寄贈先の一つ、モンタナ州のイエローストーン美術館を取材しました。ここでは、コレクションの保管スペースを一般公開する、というユニークな試みを進めています。美術館の所蔵室は、VAULTと言って、普通は美術館職員しか入れません。イエローストーン美術館では、VISIBLE VAULT と名付けて一般にも解放し、全部で7300点の収蔵作品を見られるようにしました。作品を飾った網の扉が何重にも続いていて、ガラガラと引き戸を開けるように出して見るという仕組みです。他にも額作りなど展覧会の準備風景や、修復作業を見学できます。このアイディアを考えたのは館長のロビン・ピーターソンさん。「展覧会で一般公開される作品は、美術館の収蔵作品のほんの一部。ほとんどは、倉庫にしまわれたままで一般の人の目にふれる機会がない。 美樹館の運営を透明にして、地元の人により興味を持ってもらいたかった」とのこと。

アメリカでも、例のないVISIBLE VAULT。セキュリティが大変そうですけど、すばらしいアイディアですね。日本の美術館でも是非取り入れて欲しいです。こちらのトレーラーでイエローストーン美術館とVISIBLE VAULTの様子を見ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=FOncCFaV31s

ユニクロ好きのハーブ&ドロシー・・・そして来春DVD発売!

11/15から日本に滞在しています。今は、雪がちらつく札幌です。「札幌はすごく寒いから暖かくしておいで」と友人に言われて、東京でユニクロのダウンジャケットを買いました。というのも、最近ドロシーがユニクロにすっかりはまっていて、ついつい影響を受けてしまったのです。を出る直前、ハーブ&ドロシーを訪ねた時、ドロシーが真っ先に見せてくれたのは、買いたてのユニクロのダウンコート。赤紫色のロングコートに袖を通しながら、かに軽く、ポケットも深くて着心地がいいかを説明してくれました。「これで$100もしないのよ!」と嬉しそうに自慢してました。今年の秋、NYはどこを歩いてもユニクロの広告で一杯でした。地下鉄の改札にある回転バーにまでUNIQLOのロゴがついてました。とにかく認知度を上げるのに、必死だったのでしょう。10月半ば、5番街のユニクロショップが大々的にオープンした直後、ドロシーから短いメールが入りました。「UNIQLOってどう発音するの?」いつもNYの老舗デパート、メーシーズかギャップでしか衣類を買わないドロシーの耳にも、ちゃんとユニクロのブランド名が届いて、店に足を運ばせたのだから、ユニクロのPR作戦は成功かも知れません。

そして先週、ドロシーからまた報告メールが入って来ました。「ユニクロで、ハーブと共有できる短いジャケットをもう一着買ったの。くるくる巻いて袋に入れて持ち歩けるのよ!」もしドキュメンタリーCMというジャンルがあったら、この一連の出来事を撮影してユニクロに持ちこみたいくらいです。東京のイメージフォーラムで『ハーブ&ドロシー』が11/13に封切られてから丁度1年。有り難いことに、『ハーブ&ドロシー』の上映会は、今も全国で続いています。先日は、横浜のジャック&ベティで4回目の上映があって駆けつけました。3度も映画を見てくれたという学生さんや、奥さんが感動したので「見て来なさい」と背中を押されてきたという初老の男性がいたり、まだまだ『ハーブ&ドロシー』の人気が続いているのは、本当に嬉しいことです。上映後には、沢山の質問が出ました。
「二人は今何歳で、元気なのか」
「二人は、最初から撮影を許可してくれたのか。」
「二人のコレクションの中で一番印象に残った作品は何か」
などなど。
そういう質問をされる度に、映画の製作当時を懐かしく思い出します。撮影をスタートしたのは7年前の9月。二人は、撮影をすぐに許可してれたものの、最初はほんの少ししか扉を開けてくれませんでした。自分たちが見せたいところだけ、差し支えない範囲でぽつぽつと撮らせてくれた程度。資金はないけど、時間はたっぷりあるのがTVにはない、ドキュメンタリー映画の強みです。そこでカメラなしで一緒におしゃべりしたり、ご飯を食べたりするうちにだんだん打ち解けてくれるようになりました。3年も発つと、カメラの前で平気で夫婦喧嘩を始めるほどになりました。そういう親密なシーンを撮れたのも、資金不足が幸いしたからですね。もし資金がたっぷりあって短期間で完成していたら、全然ちがうテイストの映画になっていたと思います。

二人のコレクションの中で一番印象深い作品は、何と言ってもリーチャード・タトルの「ロープ」。5センチほどのロープを小さなクギで止めただけの作品で、「なぜこれがアート?」とクビをひねる人も多いと思います。私はこの作品のおかげで、現代ア―トの面白さが少しだけわかるようになりました。このタトルの作品は、11/19中村キースへリング美術館でかれた座談会でも再び話題に上りました。この美術館は、山梨県の小淵沢にあって、なかなかすばらしい美術館ですので、是非皆さん行ってみて下さい。
当日は、上映会もあったのですが、大雨にも関わらず、会場は満席。東京から駆けつけてくれた人もいました。座談会では、館長の中村和男さん、美術ジャーナリストの村田真さん、東京FMのチーフプロデユーサー延江浩さんが参加して、日本人とアート、コレクション、80年代NYのアートシーンなどのテーマでお話をしました。タトルのロープ作品は、日本の一輪挿しに通じるものがあるのでは、という話で盛り上がりました。一輪の花から見えてくる雄大な自然と、一片のロープから見えてくるアーティストの世界観。見せたいもの、伝えたいことをできるだけ多く並べてプレゼンするのではなく、ほんの一部を切り取って、見えないものを想像させる。日本びいきのタトルは、ひょっとすると、一輪挿しからあの作品を発想したのかも知れません。

2007年にホイットニー美術館で開かれていたタトルの回顧展でロープ作品を見た時、私は何とも言えない胸騒ぎを感じました。そして小さな作品だからこそ浮き出される周囲のスペースの大きさに圧倒されました。アート作品の鑑賞とは、作品から見えて来るものだけじゃなくてえないものにも注意を払わなくてはならないことを教えられました。見えないもの、わからない事には、不安をかきたてられます。作品を前に,これがなぜアートなのか、という議論が白熱して取っ組み合いの喧嘩をする人もいるそうです。たかがロープの切れ端なのに、そこまで人の気持ちを逆撫でする力がある。だからこそ、すぐれたアート作品と評価されるのでしょう。

最後に、今回の日本滞在中に、『ハーブ&ドロシー』DVDの発売が正式に決まりました。ポニーキャニオンから、来年4月発売です。コメンタリーに、ギャラリストの小山登美男さんとピーター・バラカンさんをお迎えして対談します。そして削除シーン、日本配給の舞台裏など、特典も盛りだくさん。乞うご期待です!