「ハーブ&ドロシー」が高校の英語教材になりました!

「ハーブ&ドロシー」英語のHPに掲載されている情報が、高校2年生向けの英語の教科書、Genius に8ページにわたって掲載されました。日本の高校生に、英語の教科書を通じてハーブ&ドロシーの物語を知ってもらえるとは・・・感無量です。


ここに書かれている内容は、私が映画を制作する過程で何度も何度も書き直したものです。久々に読み返してみると、あの頃の苦しさが思い出されます。そして、英文の横に書き出された単語の数々。ああ、これを高校生たちは、試験のために暗記しなくてはならないのか、と思うと何だか申し訳ないような・・・もっとやさしい単語を使っておけば良かったかな。許してね。

私自身の高校2年生の頃を振り返ると、当時は交換留学生としてアメリカへ留学するために、必死で英語の勉強していました。英会話教室に通ったりして。でも、高校の教科書に何が書いてあったかは覚えてないなあ。

英語を話せるようになって、世界中の人とコミュニケーションできたら、どんなにすばらしいだろう、そんな事を夢見ていた日々です。

この教科書の出版社、大修館の方が、ハーブ&ドロシーを教材として取り上げて下さることになった経緯について、以下のようなコメントを送って下さったので、ご紹介します。

***

教科書には、いろいろな分野の題材を入れていきたいと思っていました。英語Ⅰの教科書には、社会的なものが多かったので、英語Ⅱではぜひ芸術的なものも入れたいと考えておりました。

今回、本課で「クレー」という画家を取り上げることになりましたので、それに合う読み物教材となるような題材を探していました。

「ハーブ&ドロシー」の話は、編集委員の1人が紹介してくださいました。普通の公務員の人が長年にわたってコツコツと絵画を収集し、
大きなコレクションを築き上げたというこの話は、地味(失礼)ながらも、まじめにコツコツ積み重ねることの大切さを訴える教材として、高校生にふさわしいと判断いたしました。

今の世の中、美術品については投資目的で集めたりすることも珍しくありません。そのような中で、「だって私たちが好きだから」
という理由で、自分たちができる範囲で収集した、というのも、とても大きな魅力でした。

そして、この映画を作られたのが日本人の監督である、ということも高校生に共感してもらえる材料の1つとなるかと思いました。

また、英語の教科書ですので、いろいろな文体に触れてもらいたいという狙いもありました。

今回、掲載させていただいたものは、ホームページからの抜粋です。

今後、高校生が実際に英語を触れていく場として、インターネットはもっとも身近なツールですので、ネット上に掲載されている文の一例という視点でもよかったのではないかと思います。

***

私自身の高校2年生の頃を振り返ると、当時は交換留学生としてアメリカへ留学するために、英会話教室へ通って、必死で英語の勉強していました。でも、高校の教科書に何が書いてあったかは覚えてないなあ。

英語を話せるようになって、世界中の人とコミュニケーションできたら、どんなにすばらしいだろう、そんな事を夢見ていた日々です。

ハーブ&ドロシーの物語が、英語教材としてだけでなく、日本の高校生の皆さんにとって、色々な意味でインスピレーションになってくれれば、と願います。

サラダ中毒にかかってしまった

オフィスの近くに去年できたサラダ・バー Sweet Green のサラダがたまらなく美味しい。私は同じ店に連日通うことなんてほとんどないのだけど、今週は、連休明けの火曜日から、4日連続して食べてしまった。週末になると、早く月曜になってここのサラダが食べたい!と思うくらいだから、かなりの中毒症状だ。

ランチ時はいつも長蛇の列

昼時には、いつも長蛇の列ができるこの店は、ワシントンDCで始まった東海岸のチェ―ン店。新鮮な地元の有機野菜を使って、シンプルだけど考え抜かれたサラダのメニューが揃っている。自分で好きな素材を自由自在に合わせることもできれば、オリジナルのメニューもある。嬉しいのは、ベースになるグリーンの種類が豊富で、ホウレン草、メスクラン、ルッコラ、ケールなどから選んだりミックスできること。

例えば、今日食べたSantoriniは、ロメイン・レタスに、レモン味の海老、フェタチーズ、グレープとひよこ豆、それにヨーグルト+きゅうり+バジリコのドレッシングをかけて、最後は、レモン半分をじゅーっと絞ってできあがり。(445 cal)

私のお気に入りは、Spicy Sabzi(ネーミングもすてき)。ホウレン草、スパイシーなキノア、スパイシーなブロッコリ、にんじん、生赤カブ、芽野菜、ロースト豆腐に、ドレッシングはニンジン+チリ+ビネガー、最後の仕上げに辛いシラチャ・ソースをひとひねり。(408 cal)

ベルトコンベア式に、グリーン、野菜の素材、タンパク質素材をてきぱきとボールに入れて、ドレッシングをかけ、混ぜ、容器に詰め込み、最後にレジで支払う。そのプロセスが実に効率よく組織立てられているから、長蛇の列ができていても、せいぜい待つのは10分程度。

私も以前はサラダを食べる習慣はなかったのだけれど、撮影でアメリカ人のカメラクルーと仕事するようになってから、開眼。

彼らの多くは、撮影中のランチにはサラダしか食べないのだ。最初は、何かに遠慮してるのか、ダイエット中なのかと思った。実は、ちゃんとした理由があって、炭水化物を食べると眠くなって午後に集中力が落ちるから、炭水化物は取らず野菜しか食べないのだという。

それを聞いた時は、さすがプロ、と感心。以来、私も仕事中の食事はなるべく炭水化物を避けて、野菜中心で少しだけタンパク質を取るようになった。サラダをお腹一杯食べても、午後も朝と同じ集中力がキープできる。そして、夕方6時頃になると、丁度いい感じでお腹がすいてくる。

日本ではありとあらゆる食べ物が美味しいというのに、サラダはないがしろにされてる気がする。「生野菜は身体を冷やすから」という漢方の考えからなのだろうか。もっとサラダの美味しさが理解されて、いつかSweet Green のようなサラダ・バーができることを切に願います。

Sweet Green, HP http://sweetgreen.com

カナダでまさかの人種差別?!トロント空港の移民局で

先日、ドロシーと一緒にカナダのトロントへ行ってきた。小さいけれど、
良質のアート系ドキュメンタリー映画を見せるステキな映画祭
「Reel Art Film Festival」のオープニングに招待されてのこと。

そこで新作「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」のハイライト
(およそ40分)を上映。ワールド・プレミア前で全編上映できないので、
抜粋シーンだけしか見せられないにも関わらず、
映画祭のオープニング映画として紹介された。

ドロシーにとって、飛行機で旅行するのは4年ぶり。
しかも、ハーブが亡くなってから、1人での海外旅行は初めてだった。
なので、2泊3日の旅、NYから飛行機でわずか1時間半の距離なのに、
すごく緊張していた。

NYとトロントの空港で車椅子を手配する。
空港内の長距離を歩くには、高齢のドロシーにはキツすぎる。
車椅子にだと、特別扱いで、セキュリティも移民局も列に並ばず、
優先的に手続きを済ませてくれるので便利。
ところが、トロントに到着して、カナダの入管手続きで
ちょっとしたトラブルがあった。

まずドロシーが先にパスポートを出す。少しやりとりした後、
私が前へ進んでパスポートを出したら、若いカナダ移民局の男性職員が、
じろじろと私とドロシーの顔を見比べて「あなたとこの人の関係は?どうやって2人は知り合ったのですか」と聞かれ、一瞬戸惑った。

2人の関係?
どうやって説明すればいいのだろう。

でも、ウソをついて後でややこしいことになると困るので、正直に答える。「私はドキュメンタリー映画監督で、彼女は私の映画の主人公なのです。
映画の撮影で10年ほど前に知り合いました。」

すると、その移民局の担当者の目が点になり
「君ね、態度悪いんだよ。後ろに下がって!」と怒られる。
「はっ?」一体何が起きているのかわからない。
「態度が悪いって、どういう・・・」と反論も許されない。
「いいから後ろに下がって!」

私がアジア人で、ドロシーが車椅子に乗っている白人の高齢者なので、
きっと私は介護人か何かだと思ったのだろう。

映画監督?ドロシーが主人公??
それは、きっとその移民局の男性の想像の枠を
あまりに越えていたのかも知れない。

何を言っても埒が開かず、「君たちは移民局行き」と言われ、
通関のカードに何やら一杯書き込みをされて、
私とドロシーはとぼとぼと移民局に「送還」された。

移民局のオフィスに着くなり、金髪の女性職員がでてきて、
今度は私の顔を見るなり開口一番に
「あなたの態度が悪いからここへ送られてきたの、わかる?」

やれやれ。一体どうしてこういうことになるのか、全く理解に苦しむ。
でも、ここで反論すると、何時間も拘束&尋問されることになる。
今まで訪れた世界各地の移民局での経験からすると、
悔しいけど、ここは黙っていた方がよさそうだ。

「カナダへ入国できるのは、privilege(特権)なのです。
我々は、あなた達を本国に返すこともできるし、
カナダに入れてあげることもできる。」

いや、別に私が自分で来たくて来たわけではなくて……。
という説明もさせてくれない。

「私たちは、映画祭に招待されてきたのよ。彼女が私の映画を作ったの」
と可愛い声で訴えるドロシーの声も、耳に入らない様子。

「この人と知り合ってどのくらいですか?」
ドロシー曰く「もうかれこれ10年。とても良い人なのよ」
こういう時のために、顔写真入の映画祭のプログラムを
持ってくるべきだった、と後悔した。

私は、もうNYに帰るゾ、という気分になっていたのだけれど、
結局、パスポートにスタンプが押され、入国を認められた。

一緒にいた空港職員は、
「私は何も言える立場にないから口を挟まなかったけど、
いや本当に悪いことしたね。
これでカナダの滞在が台無しにならないことを祈りますよ。」と
優しい言葉をかけてくれた。それで少しは気分が晴れたけど、
今思い出しても、あからさまな「悪意」のKOパンチを
真正面からぶつけられた気がして、かなりへこんだ。

恐らく「人種差別」とは、こういう事なのだろう。
私はNYに長年住んで、ここまであからさまな差別にあったことが
なかったので、面食らった。
カナダは、アメリカと違って移民政策に寛大だし、
アメリカよりずっとフレンドリーな国だと思っていたのに、
カナダに対する印象がすっかり悪くなってしまった。

出だしはまずかったけれど、映画祭の方は
オープニング・パーティと上映会に300人近い人が来てくれて大盛況。
ハイライト上映にも関わらず、大好評をいただいた。

ドロシーと一緒に、地元のメディアに沢山取材されて、
空いてる時間に、パワープラント(という美術館)、
オンタリオ美術館を見に行き、美味しい食事を行く先々で振る舞われる。
大満足の3日間だった。

 

 

 

 

 

 

来週火曜日は、いよいよNYのホイットニー美術館にてワールド・プレミア。 今日は、新宿ピカデリーにて、3月26日の

ジャパン・プレミアの打合せをしてきた。

580人収容の巨大シアターでの上映会。
私のアパートのリビングくらいある大きさのスクリーン!
ここにハーブ&ドロシーの姿がどんな風に映し出されるのか。
今から楽しみだ。

3月30日の劇場公開へ向けて、準備は着々と進んでいる。

日本でのクラウドファンディングを終えて

日本でのクラウドファンディングを終えて

最初、『ハーブ&ドロシー』続編のクラウドファンディングで、
1,000万円というとてつもない目標金額を掲げた時、
随分無茶な試みだと思われた(らしい。後で聞いた話)。
自分でも、最初は達成できるかどうか、半信半疑だった。

「日本には寄付文化はない」と何度も言われ、
ファンディグが伸びない時は、やっぱりなあ、とも思った。
日本では、ネットを使った資金募集や、クレジットカードを使うことさえ
まだまだ抵抗があると。

途中で、1,000万円到達は無理かも…との考えがよぎり、
さてどうしたものかと考えた。

お金を貸してくれるという友人のオファーもあった。
企業協賛の一部を入れていただこうか、という意見もあった。
でも、そこまでして1,000万円の数字をクリアすることに意義があるのか?と
疑問に思った。
達成できなければできないなりに、何か大切な教訓があるのではないか、と
(でも、この気持ちは周囲の人には言えなかった)。

結果として、アメリカを含めて1,000人を越える皆さんのパッションと愛に
支えられて、目標額を大きく越えて、1,400万円という
日本でのクラウドファンディング最高額を達成。
なんだか、夢のようで今でも信じられない。

誤解を恐れないで言うと、今回のクラウドファンディングは
私にとって、とてもスピリチュアルな体験だった。
1人ではできないことを、大勢 に支えられて初めて達成できた。

札幌南高校の同窓生が中心になって組織された「ハーブ&ドロシー応援基金」を
通じて、合わせて200人余りの方々から、200万円以上が集まった。
全くお会いしたこともない方から、50万円のご支援を頂いた。
一昨日、そのご夫妻がカウントダウンパーティにお見えになり、
初めてご挨拶させて頂いた。

「こちらこそ、ありがとうございます。すばらしい経験をさせて頂きました」と
奥様に言われたときは、ありがたすぎて、涙が溢れた。

私は25年間NYに住んでいるので、何でも自分1人で行動することに慣れている。
人にお願いしたり、頼ったりするのが大の苦手。
特に資金援助を頼むなんてもってのほか。

でも、支援して頂く立場になって初めてわかった。
人を支援するとはどういうことなのか。
自分も誰かの、世の中の役にたてる人間に是非なりたいと。

小さなことでいいから、と思ってNYでホームレスや
ストリート・ミュージシャンを見るたびに、1ドル札を渡した。
そんな小さなことから始められればいいと思った。

「日本には寄付文化はない」って本当だろうか?
困っている人に手を差し伸べ、共感する作家やプロジェクトに
お金を出して支援したいという心を持つ人が、日本には大勢いるのではないか?
今回のクラウドファンディングの成功は、その表れなのではないか?

私たちの挑戦は、まだ始まったばかり。
クラウドファンディングが大変なのは、お金を集めることよりその後のフォロー。
支援して下さった皆さんにどれだけ満足して頂けるかが、
今回のファンディングが本当の意味で成功したかどうかを決めると思っている。

『ハーブ&ドロシー』号は、1,000人を越える乗客をのせて港を出たけれど、
この先、どんな大波や悪天候が待っていることやら。転覆しないで、今年の春、
無事目的地に到着できるよう、しっかり舵取りしなくては。
どうか皆さん、しっかり欄干に捕まっていてください。

改めて、今回のファンディングにご協力、ご支援頂いた皆様に
心からの御礼を申上げます。ありがとうございました。

明けましておめでとうございます

大変遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
新年が、みなさまにとって健やかで実り多い年となりますように!

今年は、いよいよ新作『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』が
春に公開されます。どうぞよろしくお願い致します。

さきほど3週間の日本滞在を終えて、NYに戻ったところです。
これから、いよいよプレス向け試写会がスタートします。
ステキなメインイメージも決定しました。

私がNYへ戻る前日、どか雪に見舞われた東京で、
マスコミとアート関係のごく少数の方を集めた内覧試写会を開きました。
(ありがたいことに、あの悪天候の中、20名ほどの方がベタ雪を
かきわけて来てくださいました!)

一体どんな反応があるのか。
楽しみでもあり、恐ろしくもあり、ドキドキでした。

前作の『ハーブ&ドロシー』完成後は、緊張が解けて脱力状態となり、
疲労も重なってしばらく寝込むほどでした。
今回はそんな暇もなく、できたてで湯気がまだ上がってる
マスター・テープをNYから抱えて帰国。

完成前のNYでは、音と映像が2フレームずれているとか、
コピーしたDVDの画面比率が間違った設定になっているとか、
最後の最後まで細かいトラブルが続き、
結局完成は、出発前日ぎりぎりまでかかりました。

NYでもまだスタッフ以外は完成作品を見ていないので、
今回が初めてのお披露目になるわけです。
いやはや、本当に緊張しました。最初の批評が下されるわけですから。

映画が終わってから、皆さんの表情を見回すと、
きょとんとしている人もいれば、涙をぬぐっている人もいれば、さまざま。
「質問をどうぞ」と言っても、手を挙げる人はゼロ。
うーん、何か反応にぶい?

心配していたのですが、その後個別にお話してみたら「心から感動した」
「前回より完成度が高くなっている」などのお声を聞けてほっと一息。
しかし一方で「アートに傾倒した内容なので、一般ウケしないんじゃないか」と
心配してくれる人も。

私としては、最初からア―トの話にしたかったので、そういうコメントは
当然予想していました。「現代アートの話だから日本では受けない」という意見は、前作の時にもさんざん聞きいたけれど、結果としては多くの人が見てくれた
わけです。確かに前作は、「夫婦愛」という切り口があったので、
一般の人にもウケが良かった。

でも、あれがアートの話じゃなかったら?
現代アートへのアレルギーは、日本でもここ2〜3年随分減ってるような
気がしていたし、ハーブ&ドロシーから入れば、
拒否反応も少ないのでは?と思ったけれど、どうなんでしょう?

もうひとつ。

ラスト・シーンの反応が極端なので驚きました。
ある女性からは、「感動しすぎて、涙が止まらなくて恥ずかしいくらい」という
意見があったと思うと、男性から「もっと感動的に作ればよかったのに」という声。ラストは、明かしてしまうと、まあハーブが亡くなった後のシーンなんですね。
私は、ここで自分の感情をぐっとこらえて、
あえて感傷的にならないように作りました。

100%言いたいところを70で抑えた感じ。そして、30は空白を空けておいて、
見てる人それぞれの気持ちで埋めてくれればいいと思っていた。
ところが、これが足りなくて、100で目一杯にして欲しかった、という意見。

つまり、今日言いたかったのは、世の中の人全てを満足させる作品にするのは
不可能ということ。当たり前すぎてアホらしく聞こえるかも知れませんが、
これを身体で覚えて納得するのは、結構難しいのです。
ローリングストーンズやピカソ、スピルバーグでさえ
人類全てに愛される作品を作れないわけですから。

何らかのネガティブな反応に出会うのは、表現者として避けられないプロセス。
前回もさんざんな目に会って、わかってはいるはずなのに、
やっぱり作品ができて、人前にさらす度にへこみますね。
これは、きっと一生続くのだと思います。

映画の完成目前

映画の完成が目前まできた。
毎日、サウンド・スタジオとポスト・プロダクションのスタジオを往復しながら、
音の編集&ミックス、色の調整、グラフィックスの完成、が全て同時進行中。

編集のバーナディン、サウンド・エディターのバーバラ、
ミキサーのピーター、DPのエリック、カラリストのアレックス、
グラフィック・デザイナーのアミット…。

皆、細かいところに徹底的にこだわる完璧主義者たち。
目と耳が抜群にいいので、小さなミスも彼らのふるいに必ずひっかかってくる。
少しでもクオリティの高い完成度に仕上げようと、皆必死だ。
バーナディンは、11月の感謝祭以来、土日も全く休みなし。
クリスマス・ショッピングをする時間もなく、年末のパーティも全部パスして…。
本当に申訳ない!

新作の50X50は、いくつか違う機種のSONYのHDカメラで撮影した。
コンピューターの画面で見る分には全くわからなかったのに、
ポストプロダクションにある試写室の大画面で見ると、めちゃくちゃだ。

少しでも統一感を与えるため、全体にfilm grain と言って、
うっすらとフイルムの粒子のようなイフェクトをかける。
すると、ビデオ特有のシャープすぎるエッジや色味が柔らかくなり、
フィルムで撮影したような映像になる。

SONYのカメラの特徴らしく、映像が全体に黄緑がかって見える。
これを取り除き、人の顔にほんのり赤味を入れて顔色を良くしたり、
逆に赤ら顔の人は、赤味を押さえる。
空の色も、ハワイ、マイアミ、ケンタッキー、モンタナで区別する。

また“ヴィニエット”という効果を、画面の中で強調したい部分にかけると、
わずかに暗くなった周囲からその部分がうっすらと浮き上がってきて、
目が自然とそこへ向かう。ビデオで撮影したフラットな映像も、
こういう効果を加えていくうちに、くっきりと立体感を持ってくる。
というのが、カラーコレクションで行う作業。
極端に言うと、撮影時に露出を間違ったり、照明がまずくても、
この段階で十分修正できる。

前作の映画でカメラマンの一人だったエリックは、
今回DP(Director of Photographyの略―撮影監督)に昇格。
まだ30歳という若さだけれど、すごく映像的なセンスがいい。
彼は、どちらかと言うとコマーシャルや劇映画のカメラマンなので、
最初の頃は、仕事をする度に現場で衝突していた。

劇映画でどんなにすぐれた映像を撮れるカメラマンも、
ドキュメンタリーの現場になると、全く力を発揮できないことが多い。
使う筋肉も脳みそも全然違うからだ。

ドキュメンタリーのカメラマンは、目よりも良い耳を持っていないと
ダメだと言われる。つまり片目でファンダーをのぞきこみながら、
もう片方の目は、常に周囲に向けられ、そして耳から入ってくる情報にも
最大限に注意を払わなくてはならない。撮影している場面の外で
面白いことが起きていたら、即座にそこへカメラを向けるためだ。

シンプルな例を上げると、舞台上のイベントを撮影している途中で、
観客席から大爆笑や大喝采が起きたら、そちらに自然とカメラを向ける。
ドキュメンタリーのカメラマンには、そういうセンスと筋肉が必要。
簡単そうに聞こえるけれど、これができないカメラマンが結構多い。

エリックに話を元に戻すと、彼に今回、カラーコレクションに
つきあってもらった。「僕は、カラリスト泣かせだよ」と最初に予告された通り、
彼の注文の細かさは尋常ではない。ほんのわずかな色味の違いを見分け、
それをどう調整することで、画像がきれいになるかを即座に判断できる。
私は、DPというのは現場で撮影するのが主な仕事だと信じていたけれど、
実は編集室でカラーコレクションする時に、彼らの本領が発揮される
ことがわかった(ドキュメンタリー映画では、DP-撮影監督―ではなく、
ほとんどが単なる「カメラマン」)。

ただし、エリックはあまりに完璧主義者なので、
彼の言う通りに全ての細かい調整をしていたら膨大な費用がかかってしまう
(カラーコレクションには、1時間につき$350のコストがかかる!)
時々「そこまで細かく修正しなくてもいいよ」と牽制しなくてはならない。

前回のメルマガで、先月亡くなったアーティスト、ウイル・バーネットの
言葉を紹介した。「見る目」とは、持って生まれた才能なので、
お金持ちとか、貧乏とか、教養のあるなしは、一切関係ない、と。

エリックは、高校を卒業してすぐに映画の撮影現場で
ガファー(照明技師)として働き始めた。映画学校へ行ってカメラマンの
勉強をしたわけでもない。でも、ハーブと同じように、
生まれつき特別な「見る目」を持っているので、
現場でぐんぐん力をつけて行ったのだと思う。

私には「見る目」なんて全く備わってないけれど、
エリックとカラリストのアレックスと一緒に、
連日スタジオでじーっと画像を見つめていると、
これまで見えなかったもの(例えば前に書いたフィルム粒子など)が
くっきり見えるようになってくるから不思議だ。
「見る目」も、筋肉と同じように鍛えられていくのだ(当たり前のことだけど)。

音の編集やミックスを通じて学んだ「聴く耳」についても書きたいけれど、
今日は、紙面も元気も尽きてしまったので、いつかまたの機会に。

あと2日で英語版の「50X50」が完成!来週、そのテープを持って日本に帰り、
日本語版の字幕入れ作業がスタートする。
来年春の日本公開は、一歩一歩実現に向かって進んでいる。

今は、極度の睡眠不足で頭がぼーっとしながらも、嬉しさと寂しさと、
ほんの少しの恐ろしさが入り交じって、とても複雑な気分です。

アーティストのウィル・バーネット

先月、ハーブ&ドロシーの長年の友人で、
アーティストのウイル・バーネットが亡くなった。101歳だった。

5年前、『ハーブ&ドロシー』のためにインタビューした当時は、97歳。
車椅子生活ではあったけれど、言葉使いもしっかりしていて、
97歳とは思えないほど矍鑠としていた。
ウイルは亡くなる直前まで創作していたという。

彼が“Collectors” というタイトルで描いたハーブ&ドロシーの
ポートレイトを覚えている人も多いかと思う。
シンプルだけど、二人の性格をとても良く表している。
ハーブが前屈みになって、作品を食い入るように見つめている後ろで、
ドロシーが顎に手をあてて、背筋を伸ばして考えにふけっている姿を描いた作品。

一見普通のドローイングのようだけれど、
縦=ドロシーと横=ハーブの構図は絶妙。
それは、直感のハーブと考察のドロシーという、
二人の性格とパートナーシップのバランスの象徴でもある。
と同時に、一般的なコレクターの性質でもある。

一見シンプルなドローイングに見えるけれど、
実はとてもコンセプチュアルで奥深い作品だ。ハーブが亡くなった時から、
ナショナル・ギャラリーでこの作品が展示されている。
ウイルが亡くなって、二人の追悼になってしまった。

映画の中でも使ったインタビューで、
彼は、作品を見る目=審美眼は、持って生まれたものだ、と言っていた。
富豪とか貧乏、教養がある、ないとは全く関係ない。
それは、彼が美術大学で多くの生徒を教えてきた経験からわかったことだそうだ。
ハーブとドロシーの「見る目」は、持って生まれたもので、
誰もが養えるものではない、というのがウイルの説だ。

果たしてそうだろうか?
確かに持って生まれた資質はあるかも知れない。でも、アートやに限らず、
あらゆる才能と同じで「いいものを見る目」というのは、
訓練によっても養われるのではないか、と思う。

逆にどんなに才能を持って生まれても、その才能を見つけて、
育てなければ何もならない。「見る目」も同じだと思う。
アーティストのリチャード・タトルも、インタビューで「ミルメ」と
日本語を使って「こんな素晴らしい単語はないよねえ」と感心していた。
「見る目」という言葉は、日本語独特のものらしい。

それで言うと、ドロシーは、ハーブに出会ってなければ
「見る目」を養わなかっただろう。
ハーブが亡くなってからは、「見る」ことを辞めてしまった。
ハーブの死とともにコレクション終了宣言をし、
作品を買う事も「見る」ことも終了した。

だからドロシ―曰く、もう「見えない」という。
それは、ピアノの練習をずっとしてないと指が動かなくなったり、
運動をしていないと筋肉が衰えるのと同じことらしい。
「見る目」も訓練しないと、衰えてくるというのだ。
彼らが、作品をコレクションする時の「見る」は、
私たちが美術館やギャラリーにふらっと行って
展覧会を見るのとは違う次元の「見る」なのだと思う。

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昨日、ドロシーがオフィスを訪れた。
映画のほぼ完成版をチェックするために。

『ハーブ&ドロシー』の時は、ハーブと一緒にマッチ箱のような
小さな編集室を訪れて、編集のバーナディンと4人で試写した。
見終わった後、ハーブは「ブラボー!」と叫んで、拍手。
ドロシーは「私たちはごく平凡は人間なのに、この映画だと、何だかとても
特別な人のように見えるわ」と言いながら、感動して涙を流してくれた。
それを見て、バーナディンと私ももらい泣きして皆で嬉しい涙を流した。

今回の試写では、ドロシーが一人で映画を見てどんな反応をするだろう?
ドキドキだった。映画には、生前のハーブの姿で溢れている。
映画が世界中で公開された今も「ゴミゴミしたアパートが恥ずかしいわ」と
つぶやくドロシーから、ダメだしが出ないだろうか?
ハーブが亡くなった後のエピローグには、どんな反応を示すのだろう?

ドロシーは、途中まで冷静に「この人のコメントのここは間違っている」と
指摘したり、「数学と違ってアートには間違った答えはない」と
子供たちに語りかける美術館ガイドのせりふに「その通り!」と
同意したりしていた。
ハーブが亡くなってからの最後4分間のシーンは、
一言も話さず静かに涙を流してみていた。
見終わった後は「見るのがつらいわ」という一言。
私たちも、そんなドロシーを見るのがとてもつらくて涙がでた。
4年前の試写の時とは違って、今回は悲しい涙だった。

私たちは、ハーブと毎日画面を通じて会っている気がしていた。
でも、ドロシーにとっては50年間人生を共に過ごしたハーブと別れをつげ、
少しずつ元気になってきたところで生前のハーブを見たのだから、そ
の悲しみは計り知れない。

試写の後、ドロシーと一緒にランチに出かけたが、映画の話は一切でなかった。
ドロシーにとっては、あまり満足いく作品に仕上がってなかったのだろうか、
と少し心配になる。

夜になって「すばらしい映画をもう一本完成できてよかったわね。おめでとう!」
というメッセージがメールで届いた。

少なくとも、ドロシーはこの映画を祝福してくれているとわかってホッとした。
ハーブに見てもらえなかったのは残念でならないけれど、
製作中もずっとハーブに見守られているという気がしていた。
ハーブも向こう側から喜んでくれていること願う。

日本でのクラウドファンディングがスタート

今日は、みなさんにご報告とお願いがあります。

映画の製作は、いよいよ大詰めを迎えました。
来週月曜日は、サンダンス映画祭応募の締切で、それまでにできるだけ
完成に近いかたちで編集を仕上げ、DVDを送る準備を進めています。

今日と明日は、ウッドストックにある編集のバーナディンの家で
泊まり込みで徹夜の編集作業です。音楽もいい感じで出来上がってきました。
グラフィック・デザイナーは、映画の中で使われるアメリカの地図や
オープニングタイトルの制作を急ピッチで進めています。

そして昨日から、日本でクラウドファンディングをスタートしました。
完成のためにまだ足りない製作資金、そして日本で来年春の劇場公開を
実現するためにかかる、配給&宣伝費の調達のためです。
今年の夏、ハーブの急逝でスケジュールも映画の内容も大きく変わり、
オーバーした製作予算、そして、来年春の日本公開の際にドロシーに来日して
いただくための渡航費用、他宣伝にかかる経費をまかなうためです。

クラウドファンディングとは、インターネットを使って
大勢の支援者から小額を募り、アート、音楽、映画などのクリエイティブな
プロジェクトを実現するという、新しい資金調達とサポーター集めの方法です。

一般の人々が気軽に参加できるという点で、文化支援における民主的な
プロセスでもあり、欧米では、ここ2年ほどでかなり普及してきました。
中には1億円を越えるファンディング(資金調達)に成功する
プロジェクトも出てきています。

私も去年の秋、『ハーブ&ドロシー 50X50』の製作資金として
キックスターターというサイトを通じてファンディングをしました。
その結果、世界中の730人ものサポーターの皆さんから、
8万7千ドルを越える資金援助を頂きました。

英語のサイトで、手続きがわかりずらいにも関わらず、日本からも大勢ご参加
いただきました。そのおかげで、製作がストップしていた映画は撮影を終え、
編集をスタートすることができたのです。もしこのファンディングがなければ、
『50X50』の製作は、中断したままでした。

クラウドファンディングは、まさに「ハーブ&ドロシー」の精神を踏襲した、
新しい形のアート支援です。二人はわずかな公務員の収入から、
自分達が払える範囲で作品を買い集め、アーティストの成長をささえてきました。

その結果は新作『ハーブ&ドロシー50×50』で見ていただく通りです。小さな
1LDKのアパートから始まった二人のささやかな情熱の果実は、最後は全米50州の
美術館に届けられ、次世代に引き継がれる歴史的なコレクションに発展しました。

景気低迷が続く中、日本も欧米も、公共、民間を問わず、
真っ先に予算カットされるのが文化プログラムです。

特にアーティスト支援の環境がまだまだ整備されていない日本では、
アーティストが活動を続けていくことがとても困難になっています。

私は『ハ―ブドロシー 50X50』でのクラウドファンディングを何とか成功させ、
一つのモデルケースとなることを願っています。
そのために、目標値を1千万円という高い位置に設定しました。
もし実現すれば日本で最高値です。

そしてこの方法が、日本の アーティスト、音楽家、映画監督、ダンサーなど、
あらゆる種類の表現者に、アイディアを実現し、発表するための手だてとして
広まって行けば、どんなに素晴らしいだろうと思います。

主旨をご理解いただき、今回のキャンペーンに是非ご参加、ご協力いただければ
幸いです。ご支援頂いた金額に応じて、映画の前売り券、DVD、オリジナルの
Tシャツや、アーティストがデザインした限定スケッチブック、などステキな
プレゼントを沢山用意しました。そして3万円以上のご支援を頂いた方のお名前は、
全て日本語版の映画のエンドロールにお名前を掲載します。

さらに、ドロシーが出席する、日本プレミアの上映会&レセプションご招待の
チケットもあります。資金的な支援は無理、という方も大歓迎!
ツイッター、フェイスブック、ブログなどで広めていただければ大変嬉しいです。

詳しくは、こちらのモーション・ギャラリーのサイトをご覧下さい。
http://motion-gallery.net/projects/herbanddorothy5050

『ハーブ&ドロシー50X50』の完成、そして日本公開までの道のりに、
是非ご参加いただけないでしょうか。皆さんと共に、来年祝杯を上げられるのを
楽しみにしております。

どうぞよろしくお願い致します。

NYで食べる最高においしい納豆

信じられないかも知れないけれど、NYでは、日本よりおいしい納豆を食べられる。しかも、この納豆を作っているのは、日本へ行ったこともないアメリカ人の男性。

チャールズ・ケンダル氏は、NYの北、マサチューセッツ州の山奥に、日本人の奥さんと暮らしながら、有機栽培の大豆を使って納豆を手作りしている。 週一回しかつくらないので、生産量も限定。だから当然注文が一杯になったところで、打ち切り。

注文は、毎週月曜日の朝7時〜午後2時の間に電話でしか受け付けてくれない。1回の注文で、36個の納豆をセットで買うことを義務付けられる。すると翌日の火曜日、宅配便で段ボールにぎっしり詰まった納豆が到着。だから注文する時に、翌日家にいて必ず納豆を受け取るように、と厳しく言いわたされる。

私はブルックリンに住んでいるのだけど、どうもブルックリンでの配達にトラブルが多いらしく、電話するたびに「ブルックリンはねえ・・・」と電話に出る奥さんにシブい声を出される。

支払いは箱の中にレシートが入ってくるので、小切手を送る。通信販売なのに、クレジットカードも受付ない。それくらい旧式なビジネス方法が未だに成立している事自体、奇蹟に近い。

先週注文した時には、「佐々木さん、もう随分注文頂いてないですよね。」と厳しく注意された。「いえ、あの、一人暮らしなので、なかなか減らなくて・・・それに最近出張も多くて」と言い訳すると「あら、私なんて毎日納豆食べてますよ!」とまた怒られる。そこで「私はかれこれもう20年近くも納豆を買わせて頂いてるんですけど・・・」とおそるおそる言ってみた。すると、お礼を言われるどころか「でもうちの記録には、最後の注文は5年前になってますよ!」いやあ、そんなこと言われても・・・それはそちらの帳簿上のミスでは・・・なんて言おうものなら「じゃあ納豆を売らない」と言われかねないので、黙っていた。

たかが納豆を買うだけなのに、こんなに多くの試練をくぐらなくてはならないのだ。一昔前の人気TVコメディ番組『サインフェルド』にでて来る「スープ・ナチ」じゃあるまいし。スープ・ナチは、アクセントが強い中東系の移民で、マンハッタンで評判のスープ専門店の親父。いつも店の前に行列ができている。ただ、列の並び方や、注文の仕方などに厳しいルールがあって、それに従わないと、”No soup for you!”(君のスープはなし!)と怒られて、スープを売ってくれない。スープ・ナチは、実在の人物をモデルにしていて、私も昔彼からスープを買ったことがある。そして、彼のスープは、本当においしかった。ケンダル夫妻は、スープ・ナチと良いとこ勝負の「納豆ナチ」というところだろうか。

初めて納豆ナチのことを知ったのは、私がまだNHKの「おはよう日本」でリポーターの仕事をしていた頃。毎週2〜3分でアメリカの話題を紹介していたのだけれど、寝てもさめても、番組の ネタ探しに頭を抱える毎日だった。隣の日本人女性から納豆ナチのことを聞いて、すぐに電話をかけ、取材を申し込んだのだけれど、「俺はサーカスやってんじゃない!」と怒鳴られ、あっけなく断られた。

以来、取材はあきあめたけれど、こっそり納豆だけは買い続けている。

だって、彼が作る納豆は、とにかく絶品なのだ。届いてすぐ箱を開けると、できたての納豆がまだほかほかと暖かい。かき混ぜると、強烈にネバネバと糸を引いて、おはしが絡み取られるほど。少しだけお醤油をかけて食べるとシンプルに大豆の味が口の中に広まって最高に旨い。この味に慣れると、スーパーで「有機納豆」とラベルがついた納豆も、クスリの味がしてマズくて食べられない。

ちなみに、今は生産が追付かないほどの人気になってしまったので、新規のお客さんには納豆を売ってくれないらしい。昔からのお客さんのリピート注文しか受け付けないそうだ。だから私たちは、 納豆を売ってもらえるだけでも有り難いと思って、納豆ナチのルールに、これからも従うしかない。

なので、連絡先をお知らせしても役に立たないかと思うけれど、興味ある方は、是非一度、納豆ナチの声を聞くだけでもどうぞ。 でも、彼らの逆鱗にふれると”No Natto for You!”と言われかねないので、私から番号を聞いたことは、内緒でお願いします。

Charles Kendall
電話:413-238-5928

楽しくてつらい映画の音楽づくり

今、新作『ハーブ&ドロシー50X50』のオリジナル音楽の曲作りを進めている。映画の音入れは、製作過程の中でも一番困難であり、なおかつ楽しい部分でもある。

前作『ハーブ&ドロシー』の音楽がいい、とお褒めを頂くことも多いのだが、これも一重に作曲家のデビッド•マズリンが頑張ってくれたおかげ。どうやって彼と出会ったのか、そのいきさつを話すと皆びっくりするのだけれど、今振り返ると、確かによくもまあ、こんな方法で彼に行き当たった、と思う。

というのも、彼を見つけたのは、Craig’s Listというネット掲示板。今や全世界に広まっているが、もともとNYからスタートした掲示板で、いらなくなった自転車やカメラの処分から、アパートや仕事、恋人探しまでする。とにかく、何かあれば、すぐにクレイグズ・リストに載せたり、ここで探しものをするのが当時のニューヨーカーの習慣だった。
その頃、映画作りのプロセスを全くわかってなかった私は、藁をもつかむ思いで、クレイグズ•リストに「NY近郊在住の作曲家求む」の求人広告を出した。すると、1週間もしないうちに、世界中から100人を越える作曲家から申し込みが殺到。ああ、世の中には何と多くの作曲家が存在し、仕事を探しているのだろう、とびっくり。その中から、NY周辺在住で私たちの編集室に足を運んでもらえる範囲の人に返答し、作品のサンプルCDを送ってもらう。(当時は、まだリンクを張ったりFTPサイトにアップロード、という技術は普及していなかった)

そのサンプルCDを全部聞いて、私たちの映画の感覚に近いと思う人を5人までしぼり、編集室に来てもらう。そこで会って映画の冒頭15分ほどを見せ、映画にどれくらい興味を持ってもらえるか。どんなポジティブな反応をするのか。編集のバーナディンと私との相性はどうか、などを見る。そして、5人にそれぞれ2分ほどのオープニングのシーンに曲をつけてもらった。以上のプロセスを経て最後に選ばれたのが、デイビッド。映画を見ていちいち笑ったり手をたたいたりして、反応がよかったし、私たちの意図を汲んで、一番オープニングにふさわしい曲を作ってくれたのも彼だった。何度も何度も辛抱強く曲を書き換えて、最後にはステキなハーブ&ドロシーの世界を音楽で築いてくれた。デビッドと巡り会えて本当にラッキーだったと思う。

当時は駆け出しだった彼も、今ではハリウッドのスタジオ製作の映画音楽を担当するまでになり、大出世。おかげで、エージェントまでついてしまって、彼にとっては喜ばしいことなのだけれど、今回は、エージェントを通じてまずは彼のギャラからハードに交渉しなくてはならないのは、少々キツかった。
今回は、いくつか新たに作曲する部分はあるものの、多くは『ハーブ&ドロシー』の曲をそのまま使ったり、ステムと言って曲をまるごとではなく、一部の楽器のメロディだけを使うようにしている。

今苦戦しているのは、オープニング・シーンの音楽。今まで「これだ」と思っていたシーンを止めて、いきなりハーブ&ドロシーの過去を振り返る映像と、新しく撮影したシーンをモンタージュにしてみた。ここで、ハーブ&ドロシーが誰なのか、これから何を伝えようとしているのかを映像と音楽ですぐに伝えるようにしたい。
何となくエキサイティングな物語が今から始まりますよ、という期待を持たせるメロディに加えて、二人の寄贈プロジェクトの壮大さを表現するような、威厳を持たせたい。冒頭は、小学生が美術館に入ってきて、展覧会の入り口でハーブ&ドロシーの写真の前で説明を受けるシーンなのだけれど、子供たちがかわいらしいので、どうも子供っぽい音楽になってしまう。いや、そうじゃなくて、映像はかわいくても、音楽は大人っぽくね、と何度デビッドに説明しても、どうも上手くいかない。今まで4回スコアを書き直してもらったけれど、まだこれ、という音になっていない。

あと、アーティストたちのユーモアたっぷりのコメントが続く部分には、ファニーな音楽をつけて欲しい、とお願いしたら、ユーモアがあまりに行き過ぎて、まるでサーカスの音楽みたいになってしまっている。これでは、ピエロが出て来て、これから綱渡りが始まるぞーという感じだ。

こういう作曲家とのコミュニケーションが、実に難しい。最初の頃は、「なんだかわからないけど、絵と音が合ってないからやりなおし!」しか言えなかった私。幸い編集のバーナディンが、とてもすばらしい音楽と映像センスを持っているので、彼女に手取り足取り作曲家とのコミュニケーションの方法を教えてもらった。なぜ音楽が合わないのか?何をどう改善するべきか?メロディはいいけど、楽器が合わないんじゃないか?クラリネットじゃなくて、ピアノにしてみては?ここのシーンでは、何を表現しようとしているのか? 音楽を考えることで、各シーン、そして映画全体をものすごく深く理解することになる。

ところで、前作の映画に応募してサンプルCDを送ってくれたのに最終選考まで残らなかった作曲家たちに「ごめんなさい。今回は残念ながら•••」というお断りのメッセージを送ったところ、何人かから「親切なメッセージをわざわざ送ってくれてありがとう。こんな事は初めてだ。普通、採用されなかったら何の音沙汰もないからびっくりした!」という返事が来た。こんな当たり前のメッセージを送っただけで感謝されるなんて。作曲家というのは、実に厳しい状況で仕事しているのだな(涙)。