「ハーブ&ドロシー」が高校の英語教材になりました!

「ハーブ&ドロシー」英語のHPに掲載されている情報が、高校2年生向けの英語の教科書、Genius に8ページにわたって掲載されました。日本の高校生に、英語の教科書を通じてハーブ&ドロシーの物語を知ってもらえるとは・・・感無量です。


ここに書かれている内容は、私が映画を制作する過程で何度も何度も書き直したものです。久々に読み返してみると、あの頃の苦しさが思い出されます。そして、英文の横に書き出された単語の数々。ああ、これを高校生たちは、試験のために暗記しなくてはならないのか、と思うと何だか申し訳ないような・・・もっとやさしい単語を使っておけば良かったかな。許してね。

私自身の高校2年生の頃を振り返ると、当時は交換留学生としてアメリカへ留学するために、必死で英語の勉強していました。英会話教室に通ったりして。でも、高校の教科書に何が書いてあったかは覚えてないなあ。

英語を話せるようになって、世界中の人とコミュニケーションできたら、どんなにすばらしいだろう、そんな事を夢見ていた日々です。

この教科書の出版社、大修館の方が、ハーブ&ドロシーを教材として取り上げて下さることになった経緯について、以下のようなコメントを送って下さったので、ご紹介します。

***

教科書には、いろいろな分野の題材を入れていきたいと思っていました。英語Ⅰの教科書には、社会的なものが多かったので、英語Ⅱではぜひ芸術的なものも入れたいと考えておりました。

今回、本課で「クレー」という画家を取り上げることになりましたので、それに合う読み物教材となるような題材を探していました。

「ハーブ&ドロシー」の話は、編集委員の1人が紹介してくださいました。普通の公務員の人が長年にわたってコツコツと絵画を収集し、
大きなコレクションを築き上げたというこの話は、地味(失礼)ながらも、まじめにコツコツ積み重ねることの大切さを訴える教材として、高校生にふさわしいと判断いたしました。

今の世の中、美術品については投資目的で集めたりすることも珍しくありません。そのような中で、「だって私たちが好きだから」
という理由で、自分たちができる範囲で収集した、というのも、とても大きな魅力でした。

そして、この映画を作られたのが日本人の監督である、ということも高校生に共感してもらえる材料の1つとなるかと思いました。

また、英語の教科書ですので、いろいろな文体に触れてもらいたいという狙いもありました。

今回、掲載させていただいたものは、ホームページからの抜粋です。

今後、高校生が実際に英語を触れていく場として、インターネットはもっとも身近なツールですので、ネット上に掲載されている文の一例という視点でもよかったのではないかと思います。

***

私自身の高校2年生の頃を振り返ると、当時は交換留学生としてアメリカへ留学するために、英会話教室へ通って、必死で英語の勉強していました。でも、高校の教科書に何が書いてあったかは覚えてないなあ。

英語を話せるようになって、世界中の人とコミュニケーションできたら、どんなにすばらしいだろう、そんな事を夢見ていた日々です。

ハーブ&ドロシーの物語が、英語教材としてだけでなく、日本の高校生の皆さんにとって、色々な意味でインスピレーションになってくれれば、と願います。

サラダ中毒にかかってしまった

オフィスの近くに去年できたサラダ・バー Sweet Green のサラダがたまらなく美味しい。私は同じ店に連日通うことなんてほとんどないのだけど、今週は、連休明けの火曜日から、4日連続して食べてしまった。週末になると、早く月曜になってここのサラダが食べたい!と思うくらいだから、かなりの中毒症状だ。

ランチ時はいつも長蛇の列

昼時には、いつも長蛇の列ができるこの店は、ワシントンDCで始まった東海岸のチェ―ン店。新鮮な地元の有機野菜を使って、シンプルだけど考え抜かれたサラダのメニューが揃っている。自分で好きな素材を自由自在に合わせることもできれば、オリジナルのメニューもある。嬉しいのは、ベースになるグリーンの種類が豊富で、ホウレン草、メスクラン、ルッコラ、ケールなどから選んだりミックスできること。

例えば、今日食べたSantoriniは、ロメイン・レタスに、レモン味の海老、フェタチーズ、グレープとひよこ豆、それにヨーグルト+きゅうり+バジリコのドレッシングをかけて、最後は、レモン半分をじゅーっと絞ってできあがり。(445 cal)

私のお気に入りは、Spicy Sabzi(ネーミングもすてき)。ホウレン草、スパイシーなキノア、スパイシーなブロッコリ、にんじん、生赤カブ、芽野菜、ロースト豆腐に、ドレッシングはニンジン+チリ+ビネガー、最後の仕上げに辛いシラチャ・ソースをひとひねり。(408 cal)

ベルトコンベア式に、グリーン、野菜の素材、タンパク質素材をてきぱきとボールに入れて、ドレッシングをかけ、混ぜ、容器に詰め込み、最後にレジで支払う。そのプロセスが実に効率よく組織立てられているから、長蛇の列ができていても、せいぜい待つのは10分程度。

私も以前はサラダを食べる習慣はなかったのだけれど、撮影でアメリカ人のカメラクルーと仕事するようになってから、開眼。

彼らの多くは、撮影中のランチにはサラダしか食べないのだ。最初は、何かに遠慮してるのか、ダイエット中なのかと思った。実は、ちゃんとした理由があって、炭水化物を食べると眠くなって午後に集中力が落ちるから、炭水化物は取らず野菜しか食べないのだという。

それを聞いた時は、さすがプロ、と感心。以来、私も仕事中の食事はなるべく炭水化物を避けて、野菜中心で少しだけタンパク質を取るようになった。サラダをお腹一杯食べても、午後も朝と同じ集中力がキープできる。そして、夕方6時頃になると、丁度いい感じでお腹がすいてくる。

日本ではありとあらゆる食べ物が美味しいというのに、サラダはないがしろにされてる気がする。「生野菜は身体を冷やすから」という漢方の考えからなのだろうか。もっとサラダの美味しさが理解されて、いつかSweet Green のようなサラダ・バーができることを切に願います。

Sweet Green, HP http://sweetgreen.com

中国茶に眠ってる感覚を呼び覚まされた

先日、友人の紹介で香港出身のグラフィック・デザイナー、ティムに会った。彼は、子供の頃からお茶の魅力にとりつかれ、ソーホーの仕事場の一角に秘密のティー・サロンを設けて、中国茶を振る舞っている。つまり、予約制で外には宣伝していない、とてもプライベートなサロン。

私には、全くお茶の素養はないのだけれど、2時間に及ぶ濃厚な体験で、 日本に茶を伝えた中国には、全く違う茶の文化があることに驚いた。

日本のお茶は、招待した主人と客との間のおもてなしの作法と、道具や器などに芸術性を追求している。中国のお茶は、お茶を飲む人とお茶の純粋な関係、つまり茶の味と香りの楽しみを極めたもの。

ティムは、まずお茶の葉にお湯を通したものをカップに入れて蓋をし、「どうぞ」と私の前に置いた。蓋をあけて、どうぞ鼻を突っ込んでみて下さい、とティム。これから飲むお茶の葉の香りをまず楽しむという事らしい。そして、直径4cmほどのおちょこサイズの白いシンプルなティーカップにお茶を注ぐ。

「これを3口で飲んで下さい。中国のお茶は、飲むときに、ズルズルと音を立ててもいいんですよ。」そしてお茶を、じゅるじゅる言わせながら口の中で泳がせる。お茶の味が口一杯に広がる。意識を集中して、そのアロマを楽しむ。二口目は、お茶の苦みが消えて、少し甘くなっている。3口目を飲み終わる頃には、鼻孔、眼の裏側を通って脳みそまでお茶の香りが広がったような気がするほど、お茶の香りが頭蓋骨一杯に充満する。

では、次にとっておきのお茶を、と言って小さな急須を出してきた。「でも、その前に」と言って、今までお茶を飲んでいたカップにお湯を入れる。つまり口の中をすすいでリセットする、ということなのだけれど、そのぬるいただのお湯が、また何とも言えない甘い味。口のなかにまだほんのりと残っているお茶の香りが、お湯の味をここまで変えてしまうとは、まさにマジック。

私たちは、忙しい毎日の生活で、どれだけ自分の感覚 と乖離していることだろう。たった一杯のお茶が私たちの五感に命を吹き込み、呼び覚ましてくれる。人間の感覚とは、何て繊細で複雑なのかと思う。

急須にお茶を入れ、その上からじゃぶじゃぶとお湯をかけて暖め、またはお湯を別の容器に入れて温度を下げ、といった作業を何度か繰り返してカップに注ぐ。今度のお茶の一口目は少々苦い。でも二口目は、その苦みが和らいでいる。そして3口目は、苦みがすっかり消えて、ほんのりフローラルな味に変わっている。「ノドを通り過ぎる時の味にも注目して下さい」お茶がノドを通りすぎるとき、一瞬チョコレートのような味がした。

「お茶とは、まさに人生なんだよ」とティム。若い頃、人生とは実に苦いものだと思うよね。だけど、苦い経験を繰り返して行くうちに、つらいと思ったことも、苦に感じなくなる。そして、気がついたら人生には花の香りが漂ってることに気づくんだ。つまり、どんなにつらいと思っても、生きて経験を積むうちに、苦さが人生の味わいになってくるということ。今は苦いと思っても、通り過ぎれば、向こう側には限りなく芳醇な人生が待っているものさ。」

そんな話をしながら2杯目のお茶を入れてくれた。あれ?今度のは、ホントに苦い、というかシブいゾ!「ごめん!今おしゃべりしてて、うっかりこんなシブいお茶を入れてしまった。ちゃんと集中していないと、お茶はへそを曲げて渋くなってしまう。3回目はちゃんと味を取り戻すから」つまり、私たちとおしゃべりしていて、5秒ほど長く放置してしまったので渋くなってしまったらしい。たった5秒の差でお茶の味はこんなに変わるものなのだ。そして3杯目のお茶は、確かに、まろやかな味を取り戻していた。

飲み終わったお茶に水滴がまだほんの少し残っている。それをピエロの鼻みたいにピタっと鼻にくっつけて、残り香を楽しむ。香り、香り、香り。お茶を通して自分の感覚を取り戻し、コネクトする。眠っていた何かが、ゆっくり目覚めていくような感じ。

最後に、ティムからこんな逸話を聞いた。1972 年にニクソンが訪中して毛沢東に会った時のこと。毛沢東は、お土産に、と言って200gのお茶をニクソンにプレゼントした。アメリカ代表団は「何てケチな贈り物を・・・」と少々侮辱に受け取った。

しかし、後でわかったことは、それは中国の武夷山地区で1年に400gしか取れない大紅袍 というお茶。つまりその半分をお土産に、というのは中国の半分をニクソンに託したという意味があったという。

深遠なる中国茶の世界を知りたい方は、ティムの ブログで。(英語)http://themandarinstea.blogspot.com/

 

カナダでまさかの人種差別?!トロント空港の移民局で

先日、ドロシーと一緒にカナダのトロントへ行ってきた。小さいけれど、
良質のアート系ドキュメンタリー映画を見せるステキな映画祭
「Reel Art Film Festival」のオープニングに招待されてのこと。

そこで新作「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」のハイライト
(およそ40分)を上映。ワールド・プレミア前で全編上映できないので、
抜粋シーンだけしか見せられないにも関わらず、
映画祭のオープニング映画として紹介された。

ドロシーにとって、飛行機で旅行するのは4年ぶり。
しかも、ハーブが亡くなってから、1人での海外旅行は初めてだった。
なので、2泊3日の旅、NYから飛行機でわずか1時間半の距離なのに、
すごく緊張していた。

NYとトロントの空港で車椅子を手配する。
空港内の長距離を歩くには、高齢のドロシーにはキツすぎる。
車椅子にだと、特別扱いで、セキュリティも移民局も列に並ばず、
優先的に手続きを済ませてくれるので便利。
ところが、トロントに到着して、カナダの入管手続きで
ちょっとしたトラブルがあった。

まずドロシーが先にパスポートを出す。少しやりとりした後、
私が前へ進んでパスポートを出したら、若いカナダ移民局の男性職員が、
じろじろと私とドロシーの顔を見比べて「あなたとこの人の関係は?どうやって2人は知り合ったのですか」と聞かれ、一瞬戸惑った。

2人の関係?
どうやって説明すればいいのだろう。

でも、ウソをついて後でややこしいことになると困るので、正直に答える。「私はドキュメンタリー映画監督で、彼女は私の映画の主人公なのです。
映画の撮影で10年ほど前に知り合いました。」

すると、その移民局の担当者の目が点になり
「君ね、態度悪いんだよ。後ろに下がって!」と怒られる。
「はっ?」一体何が起きているのかわからない。
「態度が悪いって、どういう・・・」と反論も許されない。
「いいから後ろに下がって!」

私がアジア人で、ドロシーが車椅子に乗っている白人の高齢者なので、
きっと私は介護人か何かだと思ったのだろう。

映画監督?ドロシーが主人公??
それは、きっとその移民局の男性の想像の枠を
あまりに越えていたのかも知れない。

何を言っても埒が開かず、「君たちは移民局行き」と言われ、
通関のカードに何やら一杯書き込みをされて、
私とドロシーはとぼとぼと移民局に「送還」された。

移民局のオフィスに着くなり、金髪の女性職員がでてきて、
今度は私の顔を見るなり開口一番に
「あなたの態度が悪いからここへ送られてきたの、わかる?」

やれやれ。一体どうしてこういうことになるのか、全く理解に苦しむ。
でも、ここで反論すると、何時間も拘束&尋問されることになる。
今まで訪れた世界各地の移民局での経験からすると、
悔しいけど、ここは黙っていた方がよさそうだ。

「カナダへ入国できるのは、privilege(特権)なのです。
我々は、あなた達を本国に返すこともできるし、
カナダに入れてあげることもできる。」

いや、別に私が自分で来たくて来たわけではなくて……。
という説明もさせてくれない。

「私たちは、映画祭に招待されてきたのよ。彼女が私の映画を作ったの」
と可愛い声で訴えるドロシーの声も、耳に入らない様子。

「この人と知り合ってどのくらいですか?」
ドロシー曰く「もうかれこれ10年。とても良い人なのよ」
こういう時のために、顔写真入の映画祭のプログラムを
持ってくるべきだった、と後悔した。

私は、もうNYに帰るゾ、という気分になっていたのだけれど、
結局、パスポートにスタンプが押され、入国を認められた。

一緒にいた空港職員は、
「私は何も言える立場にないから口を挟まなかったけど、
いや本当に悪いことしたね。
これでカナダの滞在が台無しにならないことを祈りますよ。」と
優しい言葉をかけてくれた。それで少しは気分が晴れたけど、
今思い出しても、あからさまな「悪意」のKOパンチを
真正面からぶつけられた気がして、かなりへこんだ。

恐らく「人種差別」とは、こういう事なのだろう。
私はNYに長年住んで、ここまであからさまな差別にあったことが
なかったので、面食らった。
カナダは、アメリカと違って移民政策に寛大だし、
アメリカよりずっとフレンドリーな国だと思っていたのに、
カナダに対する印象がすっかり悪くなってしまった。

出だしはまずかったけれど、映画祭の方は
オープニング・パーティと上映会に300人近い人が来てくれて大盛況。
ハイライト上映にも関わらず、大好評をいただいた。

ドロシーと一緒に、地元のメディアに沢山取材されて、
空いてる時間に、パワープラント(という美術館)、
オンタリオ美術館を見に行き、美味しい食事を行く先々で振る舞われる。
大満足の3日間だった。

 

 

 

 

 

 

来週火曜日は、いよいよNYのホイットニー美術館にてワールド・プレミア。 今日は、新宿ピカデリーにて、3月26日の

ジャパン・プレミアの打合せをしてきた。

580人収容の巨大シアターでの上映会。
私のアパートのリビングくらいある大きさのスクリーン!
ここにハーブ&ドロシーの姿がどんな風に映し出されるのか。
今から楽しみだ。

3月30日の劇場公開へ向けて、準備は着々と進んでいる。

日本でのクラウドファンディングを終えて

日本でのクラウドファンディングを終えて

最初、『ハーブ&ドロシー』続編のクラウドファンディングで、
1,000万円というとてつもない目標金額を掲げた時、
随分無茶な試みだと思われた(らしい。後で聞いた話)。
自分でも、最初は達成できるかどうか、半信半疑だった。

「日本には寄付文化はない」と何度も言われ、
ファンディグが伸びない時は、やっぱりなあ、とも思った。
日本では、ネットを使った資金募集や、クレジットカードを使うことさえ
まだまだ抵抗があると。

途中で、1,000万円到達は無理かも…との考えがよぎり、
さてどうしたものかと考えた。

お金を貸してくれるという友人のオファーもあった。
企業協賛の一部を入れていただこうか、という意見もあった。
でも、そこまでして1,000万円の数字をクリアすることに意義があるのか?と
疑問に思った。
達成できなければできないなりに、何か大切な教訓があるのではないか、と
(でも、この気持ちは周囲の人には言えなかった)。

結果として、アメリカを含めて1,000人を越える皆さんのパッションと愛に
支えられて、目標額を大きく越えて、1,400万円という
日本でのクラウドファンディング最高額を達成。
なんだか、夢のようで今でも信じられない。

誤解を恐れないで言うと、今回のクラウドファンディングは
私にとって、とてもスピリチュアルな体験だった。
1人ではできないことを、大勢 に支えられて初めて達成できた。

札幌南高校の同窓生が中心になって組織された「ハーブ&ドロシー応援基金」を
通じて、合わせて200人余りの方々から、200万円以上が集まった。
全くお会いしたこともない方から、50万円のご支援を頂いた。
一昨日、そのご夫妻がカウントダウンパーティにお見えになり、
初めてご挨拶させて頂いた。

「こちらこそ、ありがとうございます。すばらしい経験をさせて頂きました」と
奥様に言われたときは、ありがたすぎて、涙が溢れた。

私は25年間NYに住んでいるので、何でも自分1人で行動することに慣れている。
人にお願いしたり、頼ったりするのが大の苦手。
特に資金援助を頼むなんてもってのほか。

でも、支援して頂く立場になって初めてわかった。
人を支援するとはどういうことなのか。
自分も誰かの、世の中の役にたてる人間に是非なりたいと。

小さなことでいいから、と思ってNYでホームレスや
ストリート・ミュージシャンを見るたびに、1ドル札を渡した。
そんな小さなことから始められればいいと思った。

「日本には寄付文化はない」って本当だろうか?
困っている人に手を差し伸べ、共感する作家やプロジェクトに
お金を出して支援したいという心を持つ人が、日本には大勢いるのではないか?
今回のクラウドファンディングの成功は、その表れなのではないか?

私たちの挑戦は、まだ始まったばかり。
クラウドファンディングが大変なのは、お金を集めることよりその後のフォロー。
支援して下さった皆さんにどれだけ満足して頂けるかが、
今回のファンディングが本当の意味で成功したかどうかを決めると思っている。

『ハーブ&ドロシー』号は、1,000人を越える乗客をのせて港を出たけれど、
この先、どんな大波や悪天候が待っていることやら。転覆しないで、今年の春、
無事目的地に到着できるよう、しっかり舵取りしなくては。
どうか皆さん、しっかり欄干に捕まっていてください。

改めて、今回のファンディングにご協力、ご支援頂いた皆様に
心からの御礼を申上げます。ありがとうございました。

明けましておめでとうございます

大変遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
新年が、みなさまにとって健やかで実り多い年となりますように!

今年は、いよいよ新作『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』が
春に公開されます。どうぞよろしくお願い致します。

さきほど3週間の日本滞在を終えて、NYに戻ったところです。
これから、いよいよプレス向け試写会がスタートします。
ステキなメインイメージも決定しました。

私がNYへ戻る前日、どか雪に見舞われた東京で、
マスコミとアート関係のごく少数の方を集めた内覧試写会を開きました。
(ありがたいことに、あの悪天候の中、20名ほどの方がベタ雪を
かきわけて来てくださいました!)

一体どんな反応があるのか。
楽しみでもあり、恐ろしくもあり、ドキドキでした。

前作の『ハーブ&ドロシー』完成後は、緊張が解けて脱力状態となり、
疲労も重なってしばらく寝込むほどでした。
今回はそんな暇もなく、できたてで湯気がまだ上がってる
マスター・テープをNYから抱えて帰国。

完成前のNYでは、音と映像が2フレームずれているとか、
コピーしたDVDの画面比率が間違った設定になっているとか、
最後の最後まで細かいトラブルが続き、
結局完成は、出発前日ぎりぎりまでかかりました。

NYでもまだスタッフ以外は完成作品を見ていないので、
今回が初めてのお披露目になるわけです。
いやはや、本当に緊張しました。最初の批評が下されるわけですから。

映画が終わってから、皆さんの表情を見回すと、
きょとんとしている人もいれば、涙をぬぐっている人もいれば、さまざま。
「質問をどうぞ」と言っても、手を挙げる人はゼロ。
うーん、何か反応にぶい?

心配していたのですが、その後個別にお話してみたら「心から感動した」
「前回より完成度が高くなっている」などのお声を聞けてほっと一息。
しかし一方で「アートに傾倒した内容なので、一般ウケしないんじゃないか」と
心配してくれる人も。

私としては、最初からア―トの話にしたかったので、そういうコメントは
当然予想していました。「現代アートの話だから日本では受けない」という意見は、前作の時にもさんざん聞きいたけれど、結果としては多くの人が見てくれた
わけです。確かに前作は、「夫婦愛」という切り口があったので、
一般の人にもウケが良かった。

でも、あれがアートの話じゃなかったら?
現代アートへのアレルギーは、日本でもここ2〜3年随分減ってるような
気がしていたし、ハーブ&ドロシーから入れば、
拒否反応も少ないのでは?と思ったけれど、どうなんでしょう?

もうひとつ。

ラスト・シーンの反応が極端なので驚きました。
ある女性からは、「感動しすぎて、涙が止まらなくて恥ずかしいくらい」という
意見があったと思うと、男性から「もっと感動的に作ればよかったのに」という声。ラストは、明かしてしまうと、まあハーブが亡くなった後のシーンなんですね。
私は、ここで自分の感情をぐっとこらえて、
あえて感傷的にならないように作りました。

100%言いたいところを70で抑えた感じ。そして、30は空白を空けておいて、
見てる人それぞれの気持ちで埋めてくれればいいと思っていた。
ところが、これが足りなくて、100で目一杯にして欲しかった、という意見。

つまり、今日言いたかったのは、世の中の人全てを満足させる作品にするのは
不可能ということ。当たり前すぎてアホらしく聞こえるかも知れませんが、
これを身体で覚えて納得するのは、結構難しいのです。
ローリングストーンズやピカソ、スピルバーグでさえ
人類全てに愛される作品を作れないわけですから。

何らかのネガティブな反応に出会うのは、表現者として避けられないプロセス。
前回もさんざんな目に会って、わかってはいるはずなのに、
やっぱり作品ができて、人前にさらす度にへこみますね。
これは、きっと一生続くのだと思います。

映画の完成目前

映画の完成が目前まできた。
毎日、サウンド・スタジオとポスト・プロダクションのスタジオを往復しながら、
音の編集&ミックス、色の調整、グラフィックスの完成、が全て同時進行中。

編集のバーナディン、サウンド・エディターのバーバラ、
ミキサーのピーター、DPのエリック、カラリストのアレックス、
グラフィック・デザイナーのアミット…。

皆、細かいところに徹底的にこだわる完璧主義者たち。
目と耳が抜群にいいので、小さなミスも彼らのふるいに必ずひっかかってくる。
少しでもクオリティの高い完成度に仕上げようと、皆必死だ。
バーナディンは、11月の感謝祭以来、土日も全く休みなし。
クリスマス・ショッピングをする時間もなく、年末のパーティも全部パスして…。
本当に申訳ない!

新作の50X50は、いくつか違う機種のSONYのHDカメラで撮影した。
コンピューターの画面で見る分には全くわからなかったのに、
ポストプロダクションにある試写室の大画面で見ると、めちゃくちゃだ。

少しでも統一感を与えるため、全体にfilm grain と言って、
うっすらとフイルムの粒子のようなイフェクトをかける。
すると、ビデオ特有のシャープすぎるエッジや色味が柔らかくなり、
フィルムで撮影したような映像になる。

SONYのカメラの特徴らしく、映像が全体に黄緑がかって見える。
これを取り除き、人の顔にほんのり赤味を入れて顔色を良くしたり、
逆に赤ら顔の人は、赤味を押さえる。
空の色も、ハワイ、マイアミ、ケンタッキー、モンタナで区別する。

また“ヴィニエット”という効果を、画面の中で強調したい部分にかけると、
わずかに暗くなった周囲からその部分がうっすらと浮き上がってきて、
目が自然とそこへ向かう。ビデオで撮影したフラットな映像も、
こういう効果を加えていくうちに、くっきりと立体感を持ってくる。
というのが、カラーコレクションで行う作業。
極端に言うと、撮影時に露出を間違ったり、照明がまずくても、
この段階で十分修正できる。

前作の映画でカメラマンの一人だったエリックは、
今回DP(Director of Photographyの略―撮影監督)に昇格。
まだ30歳という若さだけれど、すごく映像的なセンスがいい。
彼は、どちらかと言うとコマーシャルや劇映画のカメラマンなので、
最初の頃は、仕事をする度に現場で衝突していた。

劇映画でどんなにすぐれた映像を撮れるカメラマンも、
ドキュメンタリーの現場になると、全く力を発揮できないことが多い。
使う筋肉も脳みそも全然違うからだ。

ドキュメンタリーのカメラマンは、目よりも良い耳を持っていないと
ダメだと言われる。つまり片目でファンダーをのぞきこみながら、
もう片方の目は、常に周囲に向けられ、そして耳から入ってくる情報にも
最大限に注意を払わなくてはならない。撮影している場面の外で
面白いことが起きていたら、即座にそこへカメラを向けるためだ。

シンプルな例を上げると、舞台上のイベントを撮影している途中で、
観客席から大爆笑や大喝采が起きたら、そちらに自然とカメラを向ける。
ドキュメンタリーのカメラマンには、そういうセンスと筋肉が必要。
簡単そうに聞こえるけれど、これができないカメラマンが結構多い。

エリックに話を元に戻すと、彼に今回、カラーコレクションに
つきあってもらった。「僕は、カラリスト泣かせだよ」と最初に予告された通り、
彼の注文の細かさは尋常ではない。ほんのわずかな色味の違いを見分け、
それをどう調整することで、画像がきれいになるかを即座に判断できる。
私は、DPというのは現場で撮影するのが主な仕事だと信じていたけれど、
実は編集室でカラーコレクションする時に、彼らの本領が発揮される
ことがわかった(ドキュメンタリー映画では、DP-撮影監督―ではなく、
ほとんどが単なる「カメラマン」)。

ただし、エリックはあまりに完璧主義者なので、
彼の言う通りに全ての細かい調整をしていたら膨大な費用がかかってしまう
(カラーコレクションには、1時間につき$350のコストがかかる!)
時々「そこまで細かく修正しなくてもいいよ」と牽制しなくてはならない。

前回のメルマガで、先月亡くなったアーティスト、ウイル・バーネットの
言葉を紹介した。「見る目」とは、持って生まれた才能なので、
お金持ちとか、貧乏とか、教養のあるなしは、一切関係ない、と。

エリックは、高校を卒業してすぐに映画の撮影現場で
ガファー(照明技師)として働き始めた。映画学校へ行ってカメラマンの
勉強をしたわけでもない。でも、ハーブと同じように、
生まれつき特別な「見る目」を持っているので、
現場でぐんぐん力をつけて行ったのだと思う。

私には「見る目」なんて全く備わってないけれど、
エリックとカラリストのアレックスと一緒に、
連日スタジオでじーっと画像を見つめていると、
これまで見えなかったもの(例えば前に書いたフィルム粒子など)が
くっきり見えるようになってくるから不思議だ。
「見る目」も、筋肉と同じように鍛えられていくのだ(当たり前のことだけど)。

音の編集やミックスを通じて学んだ「聴く耳」についても書きたいけれど、
今日は、紙面も元気も尽きてしまったので、いつかまたの機会に。

あと2日で英語版の「50X50」が完成!来週、そのテープを持って日本に帰り、
日本語版の字幕入れ作業がスタートする。
来年春の日本公開は、一歩一歩実現に向かって進んでいる。

今は、極度の睡眠不足で頭がぼーっとしながらも、嬉しさと寂しさと、
ほんの少しの恐ろしさが入り交じって、とても複雑な気分です。

アーティストのウィル・バーネット

先月、ハーブ&ドロシーの長年の友人で、
アーティストのウイル・バーネットが亡くなった。101歳だった。

5年前、『ハーブ&ドロシー』のためにインタビューした当時は、97歳。
車椅子生活ではあったけれど、言葉使いもしっかりしていて、
97歳とは思えないほど矍鑠としていた。
ウイルは亡くなる直前まで創作していたという。

彼が“Collectors” というタイトルで描いたハーブ&ドロシーの
ポートレイトを覚えている人も多いかと思う。
シンプルだけど、二人の性格をとても良く表している。
ハーブが前屈みになって、作品を食い入るように見つめている後ろで、
ドロシーが顎に手をあてて、背筋を伸ばして考えにふけっている姿を描いた作品。

一見普通のドローイングのようだけれど、
縦=ドロシーと横=ハーブの構図は絶妙。
それは、直感のハーブと考察のドロシーという、
二人の性格とパートナーシップのバランスの象徴でもある。
と同時に、一般的なコレクターの性質でもある。

一見シンプルなドローイングに見えるけれど、
実はとてもコンセプチュアルで奥深い作品だ。ハーブが亡くなった時から、
ナショナル・ギャラリーでこの作品が展示されている。
ウイルが亡くなって、二人の追悼になってしまった。

映画の中でも使ったインタビューで、
彼は、作品を見る目=審美眼は、持って生まれたものだ、と言っていた。
富豪とか貧乏、教養がある、ないとは全く関係ない。
それは、彼が美術大学で多くの生徒を教えてきた経験からわかったことだそうだ。
ハーブとドロシーの「見る目」は、持って生まれたもので、
誰もが養えるものではない、というのがウイルの説だ。

果たしてそうだろうか?
確かに持って生まれた資質はあるかも知れない。でも、アートやに限らず、
あらゆる才能と同じで「いいものを見る目」というのは、
訓練によっても養われるのではないか、と思う。

逆にどんなに才能を持って生まれても、その才能を見つけて、
育てなければ何もならない。「見る目」も同じだと思う。
アーティストのリチャード・タトルも、インタビューで「ミルメ」と
日本語を使って「こんな素晴らしい単語はないよねえ」と感心していた。
「見る目」という言葉は、日本語独特のものらしい。

それで言うと、ドロシーは、ハーブに出会ってなければ
「見る目」を養わなかっただろう。
ハーブが亡くなってからは、「見る」ことを辞めてしまった。
ハーブの死とともにコレクション終了宣言をし、
作品を買う事も「見る」ことも終了した。

だからドロシ―曰く、もう「見えない」という。
それは、ピアノの練習をずっとしてないと指が動かなくなったり、
運動をしていないと筋肉が衰えるのと同じことらしい。
「見る目」も訓練しないと、衰えてくるというのだ。
彼らが、作品をコレクションする時の「見る」は、
私たちが美術館やギャラリーにふらっと行って
展覧会を見るのとは違う次元の「見る」なのだと思う。

###

昨日、ドロシーがオフィスを訪れた。
映画のほぼ完成版をチェックするために。

『ハーブ&ドロシー』の時は、ハーブと一緒にマッチ箱のような
小さな編集室を訪れて、編集のバーナディンと4人で試写した。
見終わった後、ハーブは「ブラボー!」と叫んで、拍手。
ドロシーは「私たちはごく平凡は人間なのに、この映画だと、何だかとても
特別な人のように見えるわ」と言いながら、感動して涙を流してくれた。
それを見て、バーナディンと私ももらい泣きして皆で嬉しい涙を流した。

今回の試写では、ドロシーが一人で映画を見てどんな反応をするだろう?
ドキドキだった。映画には、生前のハーブの姿で溢れている。
映画が世界中で公開された今も「ゴミゴミしたアパートが恥ずかしいわ」と
つぶやくドロシーから、ダメだしが出ないだろうか?
ハーブが亡くなった後のエピローグには、どんな反応を示すのだろう?

ドロシーは、途中まで冷静に「この人のコメントのここは間違っている」と
指摘したり、「数学と違ってアートには間違った答えはない」と
子供たちに語りかける美術館ガイドのせりふに「その通り!」と
同意したりしていた。
ハーブが亡くなってからの最後4分間のシーンは、
一言も話さず静かに涙を流してみていた。
見終わった後は「見るのがつらいわ」という一言。
私たちも、そんなドロシーを見るのがとてもつらくて涙がでた。
4年前の試写の時とは違って、今回は悲しい涙だった。

私たちは、ハーブと毎日画面を通じて会っている気がしていた。
でも、ドロシーにとっては50年間人生を共に過ごしたハーブと別れをつげ、
少しずつ元気になってきたところで生前のハーブを見たのだから、そ
の悲しみは計り知れない。

試写の後、ドロシーと一緒にランチに出かけたが、映画の話は一切でなかった。
ドロシーにとっては、あまり満足いく作品に仕上がってなかったのだろうか、
と少し心配になる。

夜になって「すばらしい映画をもう一本完成できてよかったわね。おめでとう!」
というメッセージがメールで届いた。

少なくとも、ドロシーはこの映画を祝福してくれているとわかってホッとした。
ハーブに見てもらえなかったのは残念でならないけれど、
製作中もずっとハーブに見守られているという気がしていた。
ハーブも向こう側から喜んでくれていること願う。

ホリデームードに包まれて

2週間半の日本滞在を終え、NYに戻って10日が発つ。
私の不在中、NYでは120年ぶりの最大規模の台風サンディの上陸とその被害、
大停電、地下鉄全線運行停止、ハロウイーン・パレード&NYシティ・マラソン
(ニューヨーカーのアイデンティティとも言える大事な行事)の中止、
大統領選挙、そしてダメ押しの吹雪など、とんでもない騒ぎが相次いだ。

一体NYはどうなってるんだろう、と不安だったけれど、市内は意外と
何もなかったように全てが平常通り機能している(ように見える)。
NYに戻ってみたら共和党のロムニーが当選! なんて事態になってなくて
本当によかった、ギリギリだったけどオバマが再選してほっとしたね、と
友人のジャーナリストに話したら「いや、実はオバマは結構大差で
最初から勝っていたけど、接戦で負けるかもしれない、というドラマを
演出していたんだよ」!? との返事にびっくり。

確かに、オバマは前回の選挙ともに、民主党候補としては最多の票を
獲得して当選を果たした。危機感を煽って膨大な選挙資金を集め、
有権者を投票所へ送りこむ、という作戦。

投票権がない私でさえ、まんまとはまって毎月$10をオバマの選挙事務所に
寄付していた。オバマの当選をささえたのは、女性とマイノリティ人種。
選挙事務所のボランティアが、選挙当日に一軒一軒有権者のドアをノックし
「投票して下さいね~」と呼びかけて廻ったのも大きかったようだ。

アメリカに来て、最初の頃、いつも不思議に思っていた。
なぜアメリカの大学では「政治学」(Politics)ではなくて、
「政治科学」(Political Science)を教えるのか、と。

つまり、すぐれた「政治」を教えるのではなく「どうすれば選挙に勝てるのか」
という「科学」を教える、ということなのだ。
当選のための戦略に長けていれば誰でも政治家になれる。
だから、ブッシュのような大統領が当選して、さらに再選までできてしまうという
恐ろしい事態になる。

でも裏を返せば、有色人種で富裕層の出身でもないオバマのような人物が
大統領になれるのも、こうした「科学」のおかげなのかも知れない。

***

今週木曜日は感謝祭の祝日で、アメリカはホリデームードに包まれている
というのに、NYのハーブ&ドロシー本部は、今最高に忙しい時期を迎えている。

明日からの2週間で、映画の全ての要素、映像、編集、音楽、グラフィックス、を
最終決定してピクチャー・ロックしなくてはならないからだ。

私は、明日木曜から週末一杯、編集のバーナディンの家へ泊まり込み、
そこでターキーを食べて感謝祭をお祝いしながら、ガリガリ編集作業をし、
グラフィックを修正して入れ込み、
オリジナル音楽のメロディなどを微調整しなくてはならない。

そして追撮もまだ残っている。
私が日本に行ってる間に、ナショナル・ギャラリーのスタッフが来て、
ハーブ&ドロシーのアパートから、作品を全て引き上げてしまったのだ!

そのシーンを何とか撮影したくて、
NGAと強行に交渉を続けたが実現しなかった(涙)
なので、ドロシーのアパートへ行って
作品がなくなった白い壁を撮らなくてはならない。

来週は、モンクレア美術館へ行って、オープニング・ショットを追撮する。
スクールバスが美術館へ乗り付けるワイド、
そして子供たちがバスから降りてくる足下の画像の2ショットだけ。
子供たちが展覧会を見ているシーンは撮影済みだけれど、
その前の映像がどうしても足りないからだ。
わずか2カット、合計(おそらく)10秒以下の映像を撮影するためだけに、
ニュージャージー州まで行く。

映画の最終段階は、こうして1カット1カットを精査し、
ほんの少しでも映画のクオリティを上げて行く作業。
映画の全貌がもうすぐ目の前に現れる直前の時間。
この2週間は、実にエキサイティングであり、恐ろしい日々でもある

大統領選でも使われているクラウド・ファンディング

今日は、3度目の大統領討論会。ロムニーが外交問題に疎いせいもあって、お互いの突っ込みが弱くて面白くなかった。討論会後に出た世論調査では、浮動票のオバマ支持が53%・・・微妙なところですね。

何としても、オバマに再選して欲しい! 私はアメリカの市民権がないので、投票できないのだけれど、去年、クラウド・ファンディングを始めてから、みなさんに支援をお願いするだけではダメで、自分も支援する気持ちをちゃんと伝えなくては、と思い立って、以来毎月10ドルづつオバマの選挙キャンペーンに寄付をしている。

アメリカに住んで25年にもなるけれど、選挙活動に寄付したのは、今回が初めて。その後メーリングリストに載ったので、毎日キャンペーン・オフィスからメッセージが届くようになった。そして、このメールが、実によく出来ているので、いつも感心して見ている。送るタイミング、送信者の名前、体裁、内容、全てシンプルながら、相当考えられたものであることがわかる。

例えば、さっきTVで討論会を見終わり、オバマが舞台裏に退場した、と思った瞬間に、メールが届いた。

しかも、題目が “Hey”ですよ。日本語に訳すと、こんな感じ。

「メグミ、(必ずファースト・ネームで、Dear とか、敬称もなし)、
あとは、君次第。4ドル出してよ(Please もなしの命令形)。それで勝とうぜ!」

その下に、$4~250までのレベルで、QUICK DONATEのリンク、最後に 「ありがとう、バラクより」

日本語にするとものすごく図々しくてイヤな感じに聞こえるかも知れないけど、英語の表現だと実に親しみやすく、友だちからメールをもらったような感覚。

うだうだと説明もせず、人々の心を一言でキャッチできるように、とても念入りに練っているはずなのに、そういう意図も全く見えない。(でもクラウド・ファンディングの経験者には、わかる!)送り主も、オバマ本人からで(最初このメールが届いた時は、本当に驚いた!)、大統領とか、選挙事務所とか、そんな言葉は一切なし。だから、普通のメールと思って開いてしまう。

送り主は、副大統領のジョー・バイデンのこともあるし、奥さんのミシェル、ビル・クリントン、時には、サラ・ジェシカ・パーカーのように、セレブから届くこともある。でも、いずれのメッセージも、同じようにシンプルで、軽くて、でもちょっとだけ心にひっかかる事をさらっと言っている。

さすがだなあ、と思う。誰が、どのように戦略を立てているのかわからないが、オバマの選挙運動スタッフは、まさにクラウド・ファンディングの極意をつかんでいるなあ、と感心する。

で、やっぱりこの軽い誘いに乗って私もするっと$4のボタンを押して寄付をした。今日の討論、オバマが頑張ってくれたから$4くらい寄付しなくては、ですよね。QUICK DONATEのボタンをワンクリックして、パスワードを入れて、それでおしまい。このネットのインフラの整い方もすばらしい。

ということで、アメリカのクラウド・ファンディングは、大統領選にまで使われている、というご報告でした。